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JR東海が、平成30年3月17日のダイヤ改正で「エル特急」表記の廃止を発表したとのことです。
この改正では、「ひだ」の15号が現行より1時間繰り下げ、17・19号が約JR30分程度の
繰り下げとなりますが、それとともに「しなの」「ひだ」「しらさぎ」がL特急から
特急に変更される模様です。
「しらさぎ」については、JR西日本内では旧L特急のほとんどが特急となりましたが、
同名称の列車だけは時刻表の表記で残されたため、自社線内のみの米原~金沢を走る列車も
時刻表ではL特急となっていましたね。
ダイヤ改正のプレスリリースには掲載されていませんが、JR他社では「特急」に一本化
されていく流れがあることと、一部大新聞で報じられているので、東海でもあり得ると
思います。
とはいえ、JR東海にはこれに尽力された先輩がおられるだけに、
特急への一本化はかなりの決断ではなかったかと思います。
国鉄時代のL特急は、絵入りマークの場合は隅に「L」
381系の方向幕では列車名の左隣りに付されていました。
文字のみのマークでは大半が入れられていません。
ちなみに国鉄時代のL特急は、ほとんどが電車によって
設定され、気動車は日豊線の末端が電化されていない頃に
80系が「にちりん」、伯備線が非電化だった頃に181系が
「やくも」に使われた程度で少なめとなっていました。
1986年のダイヤ改正では、予讃線で特急「しおかぜ」が<S>登場し</s>急行「いよ」「うわじま」からの格上げを
加えて増発されてL特急となり、同線のページは
「L」「しおかぜ」がずらりと並ぶ壮観なものとなりました。
;
2010年 高山駅の発車標
高山本線の「ひだ」は、
国鉄時代「L特急」とは
なっていません。
1972年にL特急の設定された
際には、候補にも挙げられていません。
JRで実現した
ことで本数増と利便性向上の
イメージがありました。
85系、383系のヘッドマークと側面方向幕には「L」は入っていません。
高山本線の「ひだ」号は、駅の放送では「特急」と紹介されることが多く、L特急の文字が見られるのは、冊子の時刻表と主要駅の行先案内程度となっています。
この改正では、「ひだ」の15号が現行より1時間繰り下げ、17・19号が約JR30分程度の
繰り下げとなりますが、それとともに「しなの」「ひだ」「しらさぎ」がL特急から
特急に変更される模様です。
「しらさぎ」については、JR西日本内では旧L特急のほとんどが特急となりましたが、
同名称の列車だけは時刻表の表記で残されたため、自社線内のみの米原~金沢を走る列車も
時刻表ではL特急となっていましたね。
ダイヤ改正のプレスリリースには掲載されていませんが、JR他社では「特急」に一本化
されていく流れがあることと、一部大新聞で報じられているので、東海でもあり得ると
思います。
とはいえ、JR東海にはこれに尽力された先輩がおられるだけに、
特急への一本化はかなりの決断ではなかったかと思います。
国鉄時代のL特急は、絵入りマークの場合は隅に「L」
381系の方向幕では列車名の左隣りに付されていました。
文字のみのマークでは大半が入れられていません。
ちなみに国鉄時代のL特急は、ほとんどが電車によって
設定され、気動車は日豊線の末端が電化されていない頃に
80系が「にちりん」、伯備線が非電化だった頃に181系が
「やくも」に使われた程度で少なめとなっていました。
1986年のダイヤ改正では、予讃線で特急「しおかぜ」が<S>登場し</s>急行「いよ」「うわじま」からの格上げを
加えて増発されてL特急となり、同線のページは
「L」「しおかぜ」がずらりと並ぶ壮観なものとなりました。
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2010年 高山駅の発車標
高山本線の「ひだ」は、
国鉄時代「L特急」とは
なっていません。
1972年にL特急の設定された
際には、候補にも挙げられていません。
JRで実現した
ことで本数増と利便性向上の
イメージがありました。
85系、383系のヘッドマークと側面方向幕には「L」は入っていません。
高山本線の「ひだ」号は、駅の放送では「特急」と紹介されることが多く、L特急の文字が見られるのは、冊子の時刻表と主要駅の行先案内程度となっています。
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