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キハ11が活躍した姿を記録するなら、雨をついて稼動する姿を撮った写真を1枚くらいほしいものだと思っていました。
たまたま各務ヶ原駅にいる時に大雨が襲来。この時に到着した列車は これでした。
各務ヶ原駅では、下りの2両停車位置の最後部が上りホーム先端とほぼ同位置にあります。停車中に最後部方向から斜めに撮ることが不可能なため、発車直後を後打ちしました。 列車はともかく、撮影する人間の側が雨をしのぐのが大変でした。
その直後にキハ11の上りが到着しましたが、10分強を経ただけのこの時には、ほとんど降っていません。
18時過ぎ、通常ならば、4両となる4720Dが到着する頃ですが、この日はやや早めの時間に2両が到着しました。
この後「遅れ」の普通高山行きがキハ40+48+40で通過。それは3月以降の通常ダイヤでは4729Dではなく、4725Dの編成ではないかと思ったのですが、(4727Dはキハ47)
この日、15時40分頃から17時10分頃まで運転見合わせだったそうです。
この日はおがせ池の花火の日でした。
たまたま各務ヶ原駅にいる時に大雨が襲来。この時に到着した列車は これでした。
各務ヶ原駅では、下りの2両停車位置の最後部が上りホーム先端とほぼ同位置にあります。停車中に最後部方向から斜めに撮ることが不可能なため、発車直後を後打ちしました。 列車はともかく、撮影する人間の側が雨をしのぐのが大変でした。
その直後にキハ11の上りが到着しましたが、10分強を経ただけのこの時には、ほとんど降っていません。
18時過ぎ、通常ならば、4両となる4720Dが到着する頃ですが、この日はやや早めの時間に2両が到着しました。
この後「遅れ」の普通高山行きがキハ40+48+40で通過。それは3月以降の通常ダイヤでは4729Dではなく、4725Dの編成ではないかと思ったのですが、(4727Dはキハ47)
この日、15時40分頃から17時10分頃まで運転見合わせだったそうです。
この日はおがせ池の花火の日でした。
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2014年マーク
2013年マーク
約1年前に城北線のマークを撮影したのを思い出してきてみました。
枇杷島駅では2番ホーム、貨物線上り線から発車。東海道線ホームから撮ることが可能です。
さて、以前外国人観光客を扱った番組で、彼らが意外に日本の民家の屋根が集まる状態に関心を示していると耳にしましたが、この城北線は高架から民家の屋根が見えます。左は勝川駅です。
2013年マーク
約1年前に城北線のマークを撮影したのを思い出してきてみました。
枇杷島駅では2番ホーム、貨物線上り線から発車。東海道線ホームから撮ることが可能です。
さて、以前外国人観光客を扱った番組で、彼らが意外に日本の民家の屋根が集まる状態に関心を示していると耳にしましたが、この城北線は高架から民家の屋根が見えます。左は勝川駅です。
まだ名古屋市内の3駅、特に「栄」と「栄生」両駅に存在していることになります。
また、待機客も意外に少ないようです。
高山本線の時刻をJRやJTB大判時刻表で見ると、特急「ひだ」と、各駅停車の普通列車がほとんどですが、上下とも1往復、通過駅のある普通列車が存在します。この列車は岐阜~下呂間を各駅に停車しますが、下呂~高山間は、飛騨萩原、飛騨小坂、久々野、高山のみに停車します。
そのうち上り列車については不明なので、ここでは下り列車のみ取り上げます。
岐阜駅では、一昨年頃、通常「3番線の列車は、普通列車高山行きです」と言うところ、この列車だけは「3番線の列車は_(しばし沈黙)_高山行きです」と言っていました。
このたった1本の異例な運行の開始時期は、いつかは分かりません。しかし、1973年や1977年、1981年頃には、すでに存在したようです。1973~1981年のダイヤでは岐阜駅発車が現在よりも約1時間早い20時38分~39分、高山到着が23時55分となっていましたが、1977、1981年のダイヤでは始発駅は岐阜ではなく、名古屋駅でした。
名古屋駅始発で名古屋~岐阜間を稲沢、尾張一宮に停車、下呂~高山も停車は途中3駅のみとは急行のような運転ではなかろうか、と感じました。
下呂~高山間で先の3駅に停車する優等列車は、現在の「ひだ」も同様に停車するものがありますが、かつての「急行」の停車パターンと同じもので、1989年頃の「のりくら」号や、最後まで残った「たかやま」も同区間では3駅に停車していました。なお、のりくら号の一部は久々野駅を通過したものもありました。
もしかして急行の代用ではないかと思いかけていた時、「高山本線の60年」に下のような記述を見つけました。
1968年、高山市長や商工会議所幹部により、国鉄へ名古屋駅を19~20時台に出る高山本線直通急行を設定する旨の要請がなされたそうです。
ところが、この記載を受けて時刻表を確認すると、この要請があってから「ひだ」号が現れる1986年頃まで、「急行」の設定がありません。その代わりのように1975年から存在するのが、上記の名古屋発の快速列車なのです。
下呂・高山間で最終列車が3駅以外を通過する運行は1973年にもあったようですが、先の書に名古屋直通の快速として記載されているのが1975年からのもので、この時から名古屋へ延長されたようです。
名古屋直通になった快速のその後ですが、1986年のダイヤでは、高山本線の岐阜口の普通から名古屋直通が消えていたため、東海道本線乗り入れは打ち切られたようです。1989年のダイヤでは、高山行き最終の岐阜駅発が21時17分に繰り下がりました。そして1990年になると、岐阜発21時21分の高山線下りが多治見行きとなり、高山行きは美濃太田ー高山のみの運転となって、先の多治見行きから接続する形になりました。このダイヤは少なくとも1997年まで続いたようです。その後再び現在のような岐阜からの直通になり、同駅発車が現在の21時40分まで繰り下がることになります。これは恐らく美濃太田=猪谷間で普通列車のワンマン運転が開始されて以後ではないかと思いますが、1998年~2009年の時刻表が手元にないので確認できないのが残念です。
なお、文中「__年のダイヤ」は、私が確認できた「時刻表」の年です。
そのうち上り列車については不明なので、ここでは下り列車のみ取り上げます。
岐阜駅では、一昨年頃、通常「3番線の列車は、普通列車高山行きです」と言うところ、この列車だけは「3番線の列車は_(しばし沈黙)_高山行きです」と言っていました。
このたった1本の異例な運行の開始時期は、いつかは分かりません。しかし、1973年や1977年、1981年頃には、すでに存在したようです。1973~1981年のダイヤでは岐阜駅発車が現在よりも約1時間早い20時38分~39分、高山到着が23時55分となっていましたが、1977、1981年のダイヤでは始発駅は岐阜ではなく、名古屋駅でした。
名古屋駅始発で名古屋~岐阜間を稲沢、尾張一宮に停車、下呂~高山も停車は途中3駅のみとは急行のような運転ではなかろうか、と感じました。
下呂~高山間で先の3駅に停車する優等列車は、現在の「ひだ」も同様に停車するものがありますが、かつての「急行」の停車パターンと同じもので、1989年頃の「のりくら」号や、最後まで残った「たかやま」も同区間では3駅に停車していました。なお、のりくら号の一部は久々野駅を通過したものもありました。
もしかして急行の代用ではないかと思いかけていた時、「高山本線の60年」に下のような記述を見つけました。
1968年、高山市長や商工会議所幹部により、国鉄へ名古屋駅を19~20時台に出る高山本線直通急行を設定する旨の要請がなされたそうです。
ところが、この記載を受けて時刻表を確認すると、この要請があってから「ひだ」号が現れる1986年頃まで、「急行」の設定がありません。その代わりのように1975年から存在するのが、上記の名古屋発の快速列車なのです。
下呂・高山間で最終列車が3駅以外を通過する運行は1973年にもあったようですが、先の書に名古屋直通の快速として記載されているのが1975年からのもので、この時から名古屋へ延長されたようです。
名古屋直通になった快速のその後ですが、1986年のダイヤでは、高山本線の岐阜口の普通から名古屋直通が消えていたため、東海道本線乗り入れは打ち切られたようです。1989年のダイヤでは、高山行き最終の岐阜駅発が21時17分に繰り下がりました。そして1990年になると、岐阜発21時21分の高山線下りが多治見行きとなり、高山行きは美濃太田ー高山のみの運転となって、先の多治見行きから接続する形になりました。このダイヤは少なくとも1997年まで続いたようです。その後再び現在のような岐阜からの直通になり、同駅発車が現在の21時40分まで繰り下がることになります。これは恐らく美濃太田=猪谷間で普通列車のワンマン運転が開始されて以後ではないかと思いますが、1998年~2009年の時刻表が手元にないので確認できないのが残念です。
なお、文中「__年のダイヤ」は、私が確認できた「時刻表」の年です。
岐阜~美濃太田~多治見間の沿線にも、「滝」があります。
この滝は多治見駅の北東方向にあり、太多線も同駅から北西方向へ向かっているので、途中駅から徒歩で行けるものと考えました。
コースとしては、根本駅を出て、駅前の道路を姫方向へ出発して踏切を渡り、旭ヶ丘を道なりに通過して旭ヶ丘10交差点で左折、可児市のゲートがある手前の交差点を右折して桜ヶ丘を通過、その後はよく分かりませんが、到着可能ではあるようです。
ゲート手前で右折せず直進するなど紆余曲折を経てたどり着きました。
時間が許せば姫駅の南で撮影するとか小名田付近で五平もちを食べようかなどとも思っていたのですが、吹っ飛びました。
ただその手前の「Artists Village」には、岐阜や近接する愛知県のナンバーの自動車が頻繁に出入りし、こちらは賑わっていました。
岐阜県の名水に指定され、目にご利益があったとは傍らの看板に記されていましたが、スケールの点で惜しいですね。
この滝は多治見駅の北東方向にあり、太多線も同駅から北西方向へ向かっているので、途中駅から徒歩で行けるものと考えました。
コースとしては、根本駅を出て、駅前の道路を姫方向へ出発して踏切を渡り、旭ヶ丘を道なりに通過して旭ヶ丘10交差点で左折、可児市のゲートがある手前の交差点を右折して桜ヶ丘を通過、その後はよく分かりませんが、到着可能ではあるようです。
ゲート手前で右折せず直進するなど紆余曲折を経てたどり着きました。
時間が許せば姫駅の南で撮影するとか小名田付近で五平もちを食べようかなどとも思っていたのですが、吹っ飛びました。
ただその手前の「Artists Village」には、岐阜や近接する愛知県のナンバーの自動車が頻繁に出入りし、こちらは賑わっていました。
岐阜県の名水に指定され、目にご利益があったとは傍らの看板に記されていましたが、スケールの点で惜しいですね。