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山口智充氏の番組で美濃加茂市の旅の企画が行われていましたが、彼らが
ボートにのったあの公園は太田橋近隣にあり、たまたま私も5月30日に行った
ところでした。
そして、今週は7月13-15日には「紀勢本線全通60周年記念号」が運転されました。
相可口(現在の多気)からは1934年に尾鷲まで達し、和歌山からは紀伊木本(現在の
熊野市)まで1940年に開業しましたが、尾鷲から熊野市までが難工事となったため、
全線開通は1959年まで持ちこされたとのことです。
しかし何しろ遠いなあ、ということで四日市へ(謎)。
近鉄の急行は6両でも満席という時が多いですが、一方でJRの「みえ」も最近は
土休日には津から名古屋まで座れない時もあり、両者ある程度の客がついているよう
です。
まず伊勢鉄道車両。
そしてもう一つがこれです。
発車標はというと、現役で存在しましたね。
早くかえろともいつまでも残せとも言うつもりはありませんが、いつまで残るのでしょうか。
そして近鉄の駅には特急の号車表示が存在し、これにパタパタが残されている駅があります。
これは近鉄四日市ではなく白子などに残っているようです。
ボートにのったあの公園は太田橋近隣にあり、たまたま私も5月30日に行った
ところでした。
そして、今週は7月13-15日には「紀勢本線全通60周年記念号」が運転されました。
相可口(現在の多気)からは1934年に尾鷲まで達し、和歌山からは紀伊木本(現在の
熊野市)まで1940年に開業しましたが、尾鷲から熊野市までが難工事となったため、
全線開通は1959年まで持ちこされたとのことです。
しかし何しろ遠いなあ、ということで四日市へ(謎)。
近鉄の急行は6両でも満席という時が多いですが、一方でJRの「みえ」も最近は
土休日には津から名古屋まで座れない時もあり、両者ある程度の客がついているよう
です。
まず伊勢鉄道車両。
そしてもう一つがこれです。
発車標はというと、現役で存在しましたね。
早くかえろともいつまでも残せとも言うつもりはありませんが、いつまで残るのでしょうか。
そして近鉄の駅には特急の号車表示が存在し、これにパタパタが残されている駅があります。
これは近鉄四日市ではなく白子などに残っているようです。
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