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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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 行き先案内更新予定とされてきた栄町駅のものが、LEDに変更されました。
 変更前のものをアップしておきます。
 
 
 
 伊奈駅の旧行き先案内も見に行きました。


  
   2017年度というか2018年の更新予定が発表され、「河和駅」だそうです。

 この駅は海に近いので、私としては、行き先案内がフラップ式だろうがLED式だろうが
行きたくなるところです。
 
 



 河和線は同線河和方面と知多新線直通が30分間隔で設定されていますが、それでいて
河和駅の発車がほぼ20分間隔に揃うところが凄いと思います。

 河和港隣の海岸の海。



 河和線といえば、JR武豊駅から知多武豊へ出ようとして隣の上ケ駅に着いてしまったのもいい思い出です。

 この方式のものは、名鉄ではかなり少なくなった一方、一昨年頃までは、近鉄の、
JRと改札内で往来できる津や松阪駅に残っていましたね。


 
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JRの3月4日にダイヤ改正が行われました。
 JR東海の動きは主に東海道新幹線のN700系増とさらなる時間短縮いったところです。
 この近辺では美濃太田区にあったキハ75形1編成が名古屋区に移り、同区所属の
キハ25形1000番台1編成が美濃太田へ移るトレードが行われたとのことです。

 名古屋へ移ったのは3連車に使われたワンマン運転未対応車ですが、3連にはワンマン対応
車の組み込みが増え、それによって運用できなくなったところをキハ25-1000が補うのでしょう。

 さて時刻表をぱらぱら見ていて目立ったのが上記4715C。
 これまでは土曜休日に限り岐阜~下呂間運行でしたが、その土休日が岐阜~美濃太田(3709D列車)列車と、美濃太田~下呂(4715C列車)とに分断されました。

 昨年、この列車で岐阜~下呂間を1000番台で乗り通すべく意気込んで岐阜駅へ行ったことが
ありました。目の前に残念ながらというかそんなでもないかも、という0番台編成がやって
きて、その日は下呂まで2両目の車端部のロングシートで座ってみた、なんてことがありました。

 美濃太田9時台後半は朝輸送が終了する時間帯で、一部車両が車庫へ引き上げてメンテナンスなどを行う時間のような印象です。4715Cが岐阜から直通の場合、朝から使い続けて下呂駅で小休止
させることになり、15時過ぎまで美濃太田に戻れないことになりそうですが、美濃太田で車両を変えると問題が緩和されるのかもしれません。

 (7月追加)

 岐阜駅9時10分発美濃太田行3709Dの後運用について、6月3日に見たところ、
この日は太多線の美濃太田10時35分発多治見行3622Cでした。(他の日がどうかは不明)
 この日3709Dで美濃太田へ行き、直近の太多線列車で撮影場所へ向かったのですが、
そこで列車を待っていると、走ってくるのはどこかで見た番号のヤツでした。
 終点とのことで一度下車した車両が、30分後を追いかけてきたわけで、驚きました。
この編成はその日多治見、岐阜、多治見と何度か太多線を走行しました。
 
 

29.2.1、ですね。

 まずは2921D、名古屋18時35分発、伊勢市行の「みえ21号」が思い浮かびます。

 ただ個人的にはもう一つあり、紀伊半島の反対側にかつて存在した「2921M」も思い出されます。2000年頃に紀伊田辺、その後さらに縮小され、現在は新大阪発御坊行となって列車番号は
397Mとなっています。

 紀伊半島の東と西で、同じ2921を付した列車が存在したのですね。
この偶然が面白くなって、少々昔の時刻表を繰ってみました。

 しかし、百位の9の番号がくせもので、そうとも言い切れない部分があります。

 少し古めの時刻表を見ると、この9は紀勢本線の普通列車(ほとんどが区間列車)には付されていませんが、急行紀州号と921~924列車、先の紀州号が普通列車となる921Dに付されていました。
 そして1977年のダイヤでは、紀州号の900番台と客車列車の921,924列車が名古屋・天王寺間を通しで走っており、この中の924列車が先の2921M~397Mの前身となる列車です。
 ということは、百位9は、昭和50年頃は名古屋・天王寺間列車に付される番号で、それが新宮電化以後は紀勢東線の急行、そして「みえ」へと転用されたということかと私は思います。

 この時の921/924列車は「南紀」という名称もついていました。
「南紀」のその後はご承知の通りですね。

この日、ひたちなか海浜鉄道が舞台となったので、見てみました。

 初日に勝田駅から出演者が乗車する10時8分発の列車が、キハ11の7、翌日は那珂湊から殿山までと、その後もう一度キハ11の5に乗り、最後の阿字ヶ浦までが3710-01に乗車していました。

 登場するのは生え抜きの3710形でもよさそうな気がしますが、キハ11も5と7が走行シーンも含めてしっかりと映り、あちらの「看板車両」になったかと感激。
 7は外装にラッピングがされ、5はあちらのキハ11本来の塗装となって登場しています。
 車内の座席の色は全く岐阜にいた時代のままでしたね。出演者は前方のロングシートに座っていました。ロング、ボックスとも少し年を経た感じですがピンク、ボックスの背凭れの黒色は同じでなんとも懐かしく感じました。
 そして毎回、駅に到着するごとに出演者が前方出口から降車する映像が流れ、
それに伴って毎度運転台周りが映っていました。
 運転台後部の窓が左に偏って狭い(排気設備のため)はかつて岐阜方を向いていた運転台で、整理券発行機と
小型の運賃箱もJR時代のまま使われていました。
 出入り台が映るとなれば目に入るはずの車両番号はどうなったのかと思ったのですが、「キハ11」の記述が岐阜時代のまま残され、旧車番を覆って振り直す形になっていました。5番は形式名が国鉄フォントなので旧JR東海本社所属、7番はシンプルな書体なので旧東海交通事業社所属と分かります。

 名古屋から勝田駅まで直行するバスを見つけたので、今年は一度行ってみたいと思います。