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新年度に替わる時期となりました。 名古屋市の気象台で桜が開花したことが報じられています。 名古屋市の東桜の某局の天気予報では、6日頃が満開と予想していましたが、 一部には既に満開と見まごう個所もありました。 各務原市でも市民公園にある桜が、他より早咲きのようです。 とりあえず昨年写した多治見の大平公園に来てみました。

大半は緑が生い茂っていましたが、一部の木には蕾が
ぎっしりとあり、まだ開いていません。
多少の変化をつけようと思い、昨年と逆から撮ってみました。
線路沿いに自動車が多いので、ナンバーを消す処理をしてあります。
ちなみに今回、4往復見ましたが、75形を見かけたのは1往復のみでした。


大半は緑が生い茂っていましたが、一部の木には蕾が
ぎっしりとあり、まだ開いていません。
多少の変化をつけようと思い、昨年と逆から撮ってみました。
線路沿いに自動車が多いので、ナンバーを消す処理をしてあります。
ちなみに今回、4往復見ましたが、75形を見かけたのは1往復のみでした。
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行き先案内更新予定とされてきた栄町駅のものが、LEDに変更されました。
変更前のものをアップしておきます。
伊奈駅の旧行き先案内も見に行きました。
2017年度というか2018年の更新予定が発表され、「河和駅」だそうです。
この駅は海に近いので、私としては、行き先案内がフラップ式だろうがLED式だろうが
行きたくなるところです。
河和線は同線河和方面と知多新線直通が30分間隔で設定されていますが、それでいて
河和駅の発車がほぼ20分間隔に揃うところが凄いと思います。
河和港隣の海岸の海。
河和線といえば、JR武豊駅から知多武豊へ出ようとして隣の上ケ駅に着いてしまったのもいい思い出です。
この方式のものは、名鉄ではかなり少なくなった一方、一昨年頃までは、近鉄の、
JRと改札内で往来できる津や松阪駅に残っていましたね。
JRの3月4日にダイヤ改正が行われました。
JR東海の動きは主に東海道新幹線のN700系増とさらなる時間短縮いったところです。
この近辺では美濃太田区にあったキハ75形1編成が名古屋区に移り、同区所属の
キハ25形1000番台1編成が美濃太田へ移るトレードが行われたとのことです。
名古屋へ移ったのは3連車に使われたワンマン運転未対応車ですが、3連にはワンマン対応
車の組み込みが増え、それによって運用できなくなったところをキハ25-1000が補うのでしょう。
さて時刻表をぱらぱら見ていて目立ったのが上記4715C。
これまでは土曜休日に限り岐阜~下呂間運行でしたが、その土休日が岐阜~美濃太田(3709D列車)列車と、美濃太田~下呂(4715C列車)とに分断されました。
昨年、この列車で岐阜~下呂間を1000番台で乗り通すべく意気込んで岐阜駅へ行ったことが
ありました。目の前に残念ながらというかそんなでもないかも、という0番台編成がやって
きて、その日は下呂まで2両目の車端部のロングシートで座ってみた、なんてことがありました。
美濃太田9時台後半は朝輸送が終了する時間帯で、一部車両が車庫へ引き上げてメンテナンスなどを行う時間のような印象です。4715Cが岐阜から直通の場合、朝から使い続けて下呂駅で小休止
させることになり、15時過ぎまで美濃太田に戻れないことになりそうですが、美濃太田で車両を変えると問題が緩和されるのかもしれません。
(7月追加)
岐阜駅9時10分発美濃太田行3709Dの後運用について、6月3日に見たところ、
この日は太多線の美濃太田10時35分発多治見行3622Cでした。(他の日がどうかは不明)
この日3709Dで美濃太田へ行き、直近の太多線列車で撮影場所へ向かったのですが、
そこで列車を待っていると、走ってくるのはどこかで見た番号のヤツでした。
終点とのことで一度下車した車両が、30分後を追いかけてきたわけで、驚きました。
この編成はその日多治見、岐阜、多治見と何度か太多線を走行しました。
JR東海の動きは主に東海道新幹線のN700系増とさらなる時間短縮いったところです。
この近辺では美濃太田区にあったキハ75形1編成が名古屋区に移り、同区所属の
キハ25形1000番台1編成が美濃太田へ移るトレードが行われたとのことです。
名古屋へ移ったのは3連車に使われたワンマン運転未対応車ですが、3連にはワンマン対応
車の組み込みが増え、それによって運用できなくなったところをキハ25-1000が補うのでしょう。
さて時刻表をぱらぱら見ていて目立ったのが上記4715C。
これまでは土曜休日に限り岐阜~下呂間運行でしたが、その土休日が岐阜~美濃太田(3709D列車)列車と、美濃太田~下呂(4715C列車)とに分断されました。
昨年、この列車で岐阜~下呂間を1000番台で乗り通すべく意気込んで岐阜駅へ行ったことが
ありました。目の前に残念ながらというかそんなでもないかも、という0番台編成がやって
きて、その日は下呂まで2両目の車端部のロングシートで座ってみた、なんてことがありました。
美濃太田9時台後半は朝輸送が終了する時間帯で、一部車両が車庫へ引き上げてメンテナンスなどを行う時間のような印象です。4715Cが岐阜から直通の場合、朝から使い続けて下呂駅で小休止
させることになり、15時過ぎまで美濃太田に戻れないことになりそうですが、美濃太田で車両を変えると問題が緩和されるのかもしれません。
(7月追加)
岐阜駅9時10分発美濃太田行3709Dの後運用について、6月3日に見たところ、
この日は太多線の美濃太田10時35分発多治見行3622Cでした。(他の日がどうかは不明)
この日3709Dで美濃太田へ行き、直近の太多線列車で撮影場所へ向かったのですが、
そこで列車を待っていると、走ってくるのはどこかで見た番号のヤツでした。
終点とのことで一度下車した車両が、30分後を追いかけてきたわけで、驚きました。
この編成はその日多治見、岐阜、多治見と何度か太多線を走行しました。
2月5日 です。
これまでに撮ったものをアップしてみます。

これまでに撮ったものをアップしてみます。
29.2.1、ですね。
まずは2921D、名古屋18時35分発、伊勢市行の「みえ21号」が思い浮かびます。
ただ個人的にはもう一つあり、紀伊半島の反対側にかつて存在した「2921M」も思い出されます。2000年頃に紀伊田辺、その後さらに縮小され、現在は新大阪発御坊行となって列車番号は
397Mとなっています。
紀伊半島の東と西で、同じ2921を付した列車が存在したのですね。
この偶然が面白くなって、少々昔の時刻表を繰ってみました。
しかし、百位の9の番号がくせもので、そうとも言い切れない部分があります。
少し古めの時刻表を見ると、この9は紀勢本線の普通列車(ほとんどが区間列車)には付されていませんが、急行紀州号と921~924列車、先の紀州号が普通列車となる921Dに付されていました。
そして1977年のダイヤでは、紀州号の900番台と客車列車の921,924列車が名古屋・天王寺間を通しで走っており、この中の924列車が先の2921M~397Mの前身となる列車です。
ということは、百位9は、昭和50年頃は名古屋・天王寺間列車に付される番号で、それが新宮電化以後は紀勢東線の急行、そして「みえ」へと転用されたということかと私は思います。
この時の921/924列車は「南紀」という名称もついていました。
「南紀」のその後はご承知の通りですね。
まずは2921D、名古屋18時35分発、伊勢市行の「みえ21号」が思い浮かびます。
ただ個人的にはもう一つあり、紀伊半島の反対側にかつて存在した「2921M」も思い出されます。2000年頃に紀伊田辺、その後さらに縮小され、現在は新大阪発御坊行となって列車番号は
397Mとなっています。
紀伊半島の東と西で、同じ2921を付した列車が存在したのですね。
この偶然が面白くなって、少々昔の時刻表を繰ってみました。
しかし、百位の9の番号がくせもので、そうとも言い切れない部分があります。
少し古めの時刻表を見ると、この9は紀勢本線の普通列車(ほとんどが区間列車)には付されていませんが、急行紀州号と921~924列車、先の紀州号が普通列車となる921Dに付されていました。
そして1977年のダイヤでは、紀州号の900番台と客車列車の921,924列車が名古屋・天王寺間を通しで走っており、この中の924列車が先の2921M~397Mの前身となる列車です。
ということは、百位9は、昭和50年頃は名古屋・天王寺間列車に付される番号で、それが新宮電化以後は紀勢東線の急行、そして「みえ」へと転用されたということかと私は思います。
この時の921/924列車は「南紀」という名称もついていました。
「南紀」のその後はご承知の通りですね。