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29.2.1、ですね。
まずは2921D、名古屋18時35分発、伊勢市行の「みえ21号」が思い浮かびます。
ただ個人的にはもう一つあり、紀伊半島の反対側にかつて存在した「2921M」も思い出されます。2000年頃に紀伊田辺、その後さらに縮小され、現在は新大阪発御坊行となって列車番号は
397Mとなっています。
紀伊半島の東と西で、同じ2921を付した列車が存在したのですね。
この偶然が面白くなって、少々昔の時刻表を繰ってみました。
しかし、百位の9の番号がくせもので、そうとも言い切れない部分があります。
少し古めの時刻表を見ると、この9は紀勢本線の普通列車(ほとんどが区間列車)には付されていませんが、急行紀州号と921~924列車、先の紀州号が普通列車となる921Dに付されていました。
そして1977年のダイヤでは、紀州号の900番台と客車列車の921,924列車が名古屋・天王寺間を通しで走っており、この中の924列車が先の2921M~397Mの前身となる列車です。
ということは、百位9は、昭和50年頃は名古屋・天王寺間列車に付される番号で、それが新宮電化以後は紀勢東線の急行、そして「みえ」へと転用されたということかと私は思います。
この時の921/924列車は「南紀」という名称もついていました。
「南紀」のその後はご承知の通りですね。
まずは2921D、名古屋18時35分発、伊勢市行の「みえ21号」が思い浮かびます。
ただ個人的にはもう一つあり、紀伊半島の反対側にかつて存在した「2921M」も思い出されます。2000年頃に紀伊田辺、その後さらに縮小され、現在は新大阪発御坊行となって列車番号は
397Mとなっています。
紀伊半島の東と西で、同じ2921を付した列車が存在したのですね。
この偶然が面白くなって、少々昔の時刻表を繰ってみました。
しかし、百位の9の番号がくせもので、そうとも言い切れない部分があります。
少し古めの時刻表を見ると、この9は紀勢本線の普通列車(ほとんどが区間列車)には付されていませんが、急行紀州号と921~924列車、先の紀州号が普通列車となる921Dに付されていました。
そして1977年のダイヤでは、紀州号の900番台と客車列車の921,924列車が名古屋・天王寺間を通しで走っており、この中の924列車が先の2921M~397Mの前身となる列車です。
ということは、百位9は、昭和50年頃は名古屋・天王寺間列車に付される番号で、それが新宮電化以後は紀勢東線の急行、そして「みえ」へと転用されたということかと私は思います。
この時の921/924列車は「南紀」という名称もついていました。
「南紀」のその後はご承知の通りですね。
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