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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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名古屋臨海鉄道の東港駅に留置されていたキハ11の7両が、11月30日同駅を出発し、
ふ頭へ移動しました。
 ふ頭の入口の張り紙に輸出電車の搬入が30日~12月12日とあったので、この日に行ってみました。
 
 7両編成の北側(東港駅基準)には旧国鉄色のND5527、南側には青色のND55210がつきました。ちなみに東港15時台というのは、「貨物時刻表」の名古屋臨海鉄道東築線(東港~名電築港間の路線名)で掲載されていた時刻で、名古屋鉄道向け新型車両の同社への搬入の際にもこのスジで運転されます。東築線、名鉄築港線ともダイヤに余裕があるので、朝から滞在する車両の搬出には午前に臨時スジを設定するのかと思いましたが、15時台のようです。

 列車は先日述べた名電築港の平面クロスを越え、北方向に突っ込んで停車し、向きを変えて名鉄築港線に合流します。普段の名鉄の列車は東名古屋港駅で折り返すため、その先の県道55号線の踏切から先を走る列車は滅多に見られません。同踏切を越え、ふ頭直前の複線区間では名電築港から先導となったND55210を切り離しました。その後はキハ11 2を先頭に進む姿も見られました。

 今回の車両は伊勢区ということであまり面識はないのですが、所属区は違うものの見慣れた形で、しかも少し思い入れのあったキハ11 5とキハ11 1が含まれていたこともあり、帰り道で感慨にふけっていました。

 5番は確か一昨年のF1臨時に使われた編成の先頭車で、あの時はキハ11の日常には珍しく、車内には西洋系の顔ぶれが多く見られました。桑名駅で躓いたのも今はいい思い出です。
 1番は先日写真をアップしましたが、6月に見たものです。半年前、営業線上に多数の白い11が存在したものが、11月にはほぼ銀色しか見なくなりました。

  
 そして11月30日、白色が機関車にひかれて低速・無動でふ頭へ移動していくさまを目の当たりにすると、当然ですが全てが思い出になることを実感しました。
 
 幸いなことに、これまで除籍されたキハ11の全てに新天地が与えられ、そのことは嬉しく思います。これからの活躍を祈ることにします。
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昨日早朝、鉄道好き芸人が「鉄活」をやるという番組で
名電築港の平面クロスが取り上げられました。
 番組は列車に乗車してこの平面クロスを通過するところのみ放映されましたが、交差する線路、名古屋臨海鉄道の方に思いが飛んでいき、こちらを見に行くことにしました。

何と、あれがまだいました。
右の写真の左側に少し写っているのは、11月20日頃ふ頭に陸揚げされたマルタイだそうです。

28日は、東京メトロ16000系甲種輸送の撮影に参加してみました。

 列車全体を写したものです。
 側面はこのような感じです。

当ブログではこれまで三重県にあるキハ11形等を取り上げていなかったのですが、
こちらの方が車両が後まで残るということで、6月と11月21日に行ってきました。

  6月にキハ11形で運転されていた紀勢線329C、916Cなどが、この日はキハ25で運転されました。

 
 
 キハ11の0/100番台がごくわずかしか稼働していないことは話には聞いていましたが、実際に見てみると見られたのは10番のみでした(この日は3912C,922C)。
他に6月に0/100番台が充当されていたものの多くは300番台が入り、松阪駅では朝、同番台の6両中4両が出そろうシーンも見られました。
 この日はこれまでほとんど乗車機会のなかった300番台にしっかり乗車できました。


この日唯一見かけた0番台 922C(松阪駅)

 「ワンマン 後乗前降」のプレートが外されていました。
また、「海イセ」や車番の表記も消えかかるなど、先が長くなさそうな風情でした。
美濃太田から移った101と104と105はどこへ行くのでしょうか。



 そして話題のものを撮ってきました。8月の車両入れ替えでは、熊野市方面から多気行きの324C,326Dは40系列のままで変更されなかったようです。

40/48の「新宮」表示








 ところで、先頃、某気動車系掲示板で、キハ11のミャンマーでの運行が始まった様子が報告されました。日本を上回る長編成で用いられているようですね。そして車内はボックスシートがなくなり、全てロングシートとなったそうです。なんでも環状線で使用されているとのこと。
 車両だけを見、まだ日本にいるような錯覚をしてしまいました。
   また岐阜県在住の方々がひたちなか海浜鉄道を訪れられ、あちらでの改造の様子も報告されました。幌やジャンパ線などが変更され、やや顔の感じが変わりましたが、写真に撮られた時は東海色のままで、まだ雰囲気が残っていました。

臨海鉄道の東港駅に、情報通り7日もキハ11形が留置されていました。

 大同工大の脇の道路を進むと見渡せる場所に出ます。
 この場所は地元の人が歩いているのは見かけますが、よく分からないので、
 関係の方の指示があれば、それに従って下さい。

 そして東海地区から始まったカレーチェーンがこのたび、有名食品会社の子会社となるとのことです。この店の味と親会社のカレーソースの味とはあまりつながる感じがしませんが、言われてみればなるほどという感じです。

 同社のチェーンの1号店が、城北線終点の枇杷島駅から遠くない西枇杷島店であるということで、行ってきました。
 同店には1号店のプレートが付けられています。
 
 
 
 
 同日の夜、さる場所では某気動車ファンの皆様にお世話になりました。
いろいろ気になることを耳にしました。