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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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昨年2月の雪の日に撮影した姫駅付近での撮影を試みました。今回は昨年と少し違い、車両をメインにするのではなく、広角で周辺の風景を取り込むことにしました。
線路の西を並行する道路の、昨年より南側の地点から撮影。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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キハ25の関係記事へアクセスなさる方が最近いらっしゃいます。
 ありがとうございます。
 内容をどうするか考えたのですが、とりあえず写真を撮影してきました。
  
 10日の4721C各務ヶ原~鵜沼(大安寺川西側)
 写真は、奥の側が高山方面です。
 キハ47・48では手前の岐阜方向の貫通扉に幌がついていたのですが、この段階ではキハ25の岐阜寄りには見当たりません。また翌日乗車した際には、トイレのある車両もこれまでと逆になっていることに気づきました。要はトイレのある1000番台が多治見・富山方向の先頭車だった、ということだけですが。
 
  11日/3636Dの行先表示(窓部をトリミングによりカット)
 シャッター速度は1/160に設定しましたが、それでもこのような形に写りますので、もっと遅めにする必要がありそうです。
 それにしても、高山線・太多線内の駅名を車内のLED表示で見ると感慨がわきます。

 ところで、昔の鉄道雑誌の整理を迫られているのですが、その中の96年の雑誌の記事に「特急を運転する」というものがあります。キハ85系の「南紀」の追跡記事で、同記事によると、同系列では既にブレーキが電気指令式に、そして変速段~直結の切り替え等もマイコン制御になっているそうです。それがさらに進歩したのがキハ25のワンハンドルタイプです。
 電車との共通部品も使用しているとのことですが、国鉄時代の58系では、キハ58はエンジンを2台とも冷房用電力にできないため、キハ28やキハ65に発電用のエンジンを別に設置していました。それゆえ冷房用室外機等があっても冷房を使えない列車が存在しました。現在、あれほど電力に依存するシステムが可能になったことに、個人的には驚いています。
 

小田井駅から西側向き
  あけましておめでとうございます。
 今年も、当ブログをよろしくお願いいたします。

  今年は元旦に出かけました。

  新年らしいビジュアルを期待して、例年初日の出列車を運行しているオレンジ帯を締めた城北線車両としました。結果はご覧の通り、普段とほぼ同様ですが、幌枠にステーを付けてマークを取りつける形となっていました。

 そして、昨年12月のフラップ式発車標とイルミトレインの回から、撮影するカメラをトラブルのあったパソコンに接続していないものに変更しました。
  
 今年は上小田井駅のフラップ式発車標がLEDへ移行し、3月1日にJR武豊線が気動車から313系電車となり、3月14日にはJRの高山本線と太多線で、四半世紀以上運用されてきたキハ11形・キハ40系列から、キハ25・キハ75形へバトンが渡ることになります。

今度の3月改正で特急「北斗星」が廃止され、一方で急行「はまなす」が定期列車として存続することが公表されました。
 個人的に「北斗星」は本州と北海道とが鉄道で接続したことを象徴するような列車と思っていましたので全廃は残念です。しかし「はまなす」は、国鉄時代、夜行急行が廃止あるいは寝台特急への転換という方向に向かっていた中で、青函トンネル開通という特殊事情によるのか、急行として誕生したのが奇跡的なものでした。さらに今回の存続決定とのことで、実に強運な列車だと思います。
 
 今日は2014年12月27日ですが、ちょうどその20年前に撮影された写真のプリントがありました。東北線の50系普通列車やキハ58形等を撮ったものです。当時存在したパノラマカメラと称するワイドに撮れるカメラによる撮影です。
 
 まず駅舎です。
 青森駅西口
 当時の八戸駅舎
 
 八戸といえば一時期東北新幹線の終端となり、駅舎も大きく変わりましたが、この時期は盛岡以北の建設工事が始まって数年の頃で、周辺は静かでした。

 次にキハ58です。この頃の田沢湖線で乗車しました。当時は現在のようなE3系が東北新幹線へ直通する特急ではなく、485系「たざわ」が電車、普通列車は気動車のままでした。この列車は先頭からキハ40+キハ58+キハ58+キハ58で、前方2両が秋田車、後方のアイボリーに赤いラインの2両が盛岡車です。 秋田所属キハ58-1500
盛岡所属キハ58-1500

 東北線(現在の青い森鉄道orIGRいわて銀河鉄道)にあった50系客車による普通列車。
特急「北斗星」をけん引するEF81が、間合いで普通列車のけん引にも用いられていました。
 この時期には、すでに客車普通列車は大きく削減されつつあったようで、二戸や沼宮内の側線には、50系や12系1000/2000番台等が留置されていました。
 

 
 18時台の勝川行き。乗客は10人程度でした。  乗車してしまえば「普通のキハ11」にも見えました。しかし、外に向かって電飾が輝くとは、すなわち、光が高架橋の壁面や枇杷島駅周辺の架線柱等に反射することでもあります。それらが他ではあまり見ない色にそまるところを見ることができ、少々感動しました。