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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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12月1日、あのキハ25形1000番台がついに営業を開始しました。

 まず1700Cに乗車。1004-1104の編成でした。
 室内は313系と共通点が多いのですが、1100番台では運転台側の3席(後で訂正)が優先席(片側か両側かは未確認)。座席は扉間が10人がけで、一般席の背もたれは青色系、優先席はオレンジ色、座り心地は固めです。ロングシート車と言えば整然と吊革が並ぶ光景が思い起こされます。この車両では、一般座席エリアのものでも、数本に1~2本の割合で、皮を長めにしたものが吊られています。ステップ周囲が黄色になっていたほか、段差がキハ11では27.7cmあったところ、14cm程度に縮小され、乗り降りが楽になりました。レール面から床までの高さが下げられたようです。
 一般客室の側壁は、白系に模様の入ったものとなっています。

 走行の様子は、エンジン音が拍子抜けするくらいに低音・静かで、楽に速度を出す感じですが、時々衝撃があります。
 この衝撃は、武豊線にある0番台車にもありました。
 
   なお、扉上は次駅案内の無い方にも、扉の締切を示すランプが設置されています。
 なお1700Cでは、蘇原までは空席が目立っていましたが、蘇原で大量の乗車があり、同駅からほぼ座席が満席、那加でもさらに大量乗車がありました。




  
 
那加駅に停車中の1711C。車内は賑わっていました。
1711Cは飛騨古川行きで、表示も情報が多い分充実しています。ワンマンでない「普通」表示は、313系電車同様長方形の枠で囲んだものとなっています。
 
 同車が走行するこれからの30年には、東京オリンピック開催期やリニア中央新幹線開業等がある一方、日本国民もどうなるやら分からない怖い予感もありますが、車両も安全に、我々も幸福に生きていきたいものだと思います。


 なお、キハ11はこの後の704D、705Dで走行していますが、両列車ともロングシート部に立客が大勢おり、ローカル気動車のはずが賑わいは都会のようで、多少の感慨を持ちました。
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  明日23日は各務原市でイベントが開催されます。昨年はそれに伴って岐阜~美濃太田間列車に増結や車両の変更などがありました。  上り美濃太田発9時台~11時55分、12時52分や、下り岐阜駅発10時45分~12時41分、13時45分、14時15分などの通常キハ11×2の列車が、変更がある可能性があります。この輸送には、キハ25は入らないとのことです。

 そして、迷惑になりそうな場所では撮影しないことにします。

 


 11月11日を迎えました。

 
キハ11-101
 当ブログでは車内の写真をあまり出していなかったので、「特別な」企画として車内の写真を出します。。



 カーテンを閉めた状態の座席。カーテンと言うと夏の日よけという点では印象的
 キハ11は冷房が装備されていますが24000kcalです。
 それを気にしてか、車両区から回送される際、ほぼすべての窓のカーテンが閉まっていたこともあります。その直後、乗車した女性が律儀に全て開けていたので、そんな事情で閉まっているのだと言おうか言うまいか迷ったこともありました。
 ところで、岐阜出身の某アナも日頃はカーテンを閉めっぱなしで、外の天候も分からないのだそうです。
 上の写真の右側に運賃表がありますが、長森駅が01番、那加駅が02番・・・・・となっていて、美濃太田が7番です。11番にあたるのが上麻生駅です。ここで11日に乗車することができれば、日付と「11」の番号、駅名が印刷された整理券を手にできたことでしょう。
 しかし最近は日が短くなり、キハ11による列車である4723Cと4720Cでは、4720Cが発車する頃にはかなり暗くなっています。

 上麻生駅(出典:Wikipedia・Monami氏撮影)

11月8日、美濃加茂市では、日本昭和村を会場に「美濃加茂市民まつり」が開催されました。
この催しは9日も開催されます。
 この「市民まつり」の際、会場となる日本昭和村の入場料が無料になるほか、美濃太田駅と昭和村の間には、通常運行される定期路線バスとは別に無料の「シャトルバス」が運行されます。
 この日は岐阜バスの岐阜・高富営業所の車が各1台づつ充当されました。

 それにさきがけ、この日は8時から9時にかけて、美濃太田駅に特別な車両が3本到着しました。
8時50分頃、美濃太田まで定期普通、同駅から臨時快速の赤ツートン車が現れます。
 赤ツートンは昭和34年から使用された塗装である一方、40系列は当初朱色一色で登場し、むしろこの色を駆逐する側だったはずですが、いざまとってみると実によく似合いますね。

 この後、1・2番線には昭和末~平成のキハ11が発着し、4番線には昭和期のキハ48が停車しています。筆者は車両区の様子を見ようと、乗客数人の太多線列車に乗車しました。車両区を眺めるまでもなく気になる状態を目にしました。早くも、本線に合流せんばかりの状態のキハ25の1編成がいたのです。
 当ブログでも最近はキハ25の内容の方が人気があるだけに、試運転とは、というのが頭をよぎりました。
 都合上可児まで行き、客が多数降車して、何しに行くのか興味深い3613Dで美濃太田へ引き返すと、目の前に「ひだ3号」がいました。
 
  3日にも3号と10号にラッピング車が連結されていました。
 この時、中線の東側にはキハ25がおり、これが恐らく先ほど待機をしていた編成と思われます。この編成は9時30分頃に動き出して多治見または富山の方向へ向かいました。高山本線での目撃情報が多いため、おそらくそちらへ向かったのでしょう。そしてこの時刻は、昨年のさわやかウォーキングの際の増発列車とほぼ同じ時間で、以前あった臨時列車のスジを活用する例もあるようですね。
 キハ25形P102編成。
 ちょうど昭和~平成と時代順になっていることに気づいたので並べてみました。

 昭和村では、建物は昨年とあまり変わりませんが、中身の一部が変わっていました。 やまびこ学校の中には、「オート3輪」が展示されていました。
 


また、この時期には園内の植物が色づいてきます。
 
 

 そして、牧場の位置が移動するなど、昨年と少々変わっていたのですが、「列車遊具」も刷新されました。新幹線0系や103系のおもちゃ、「JRパノラマカー」が消えて、「アンパンマン」の汽車と、700系新幹線のおもちゃになっていました。

 厳密の「昭和」と言えるかは分かりませんが、昭和から時間がたち過ぎた現在は、昭和のものが部品の関係で置けないのかもしれませんね。

 ところで、昭和村を見ると、昭和はなんと楽しい時代だったかと思います。

 昭和期の高山線には、高山に早朝に着く客のための夜行「のりくら」や、大阪発着の「たかやま」など特急より低額の料金の「急行」が存在しました。しかし、高山本線では、特急・急行の間隔が今より不等間隔であったり、岐阜~美濃太田間や太多線で次の列車まで2時間あくような事例も見られ、不便な部分もありました。

 1980年に発行された鉄道ジャーナルでは、当時の国鉄名古屋と名古屋鉄道の幹部との対談が行われた回があります。この中で、当時の名古屋局の幹部は、国鉄利用が浸透していないことへの懸念を示し、頻発運転や高山本線で眺望のきく特急車両の運転への夢などを語っていました。「プラン80」と呼ばれるそうですが、その時の同幹部の危機感が、現在につながっているのだと思います。
この車両で太多線内を頻発運転するアイデアも、それが原点でしょう。

3日、坂祝→岐阜と動いてきました。

 坂祝へ向かう前に、8時頃、鵜沼駅にてキハ25を目撃しました。同車は4706Dと行き違いをした後、美濃太田方へ発車していきました。このスジは、以前にもキヤ97が走行している所を目撃したことがあるので、事業列車のスジとなっている可能性があります。

 坂祝では県道345号の陸橋から撮影しました。
  以前「坂祝陸橋」として紹介した場所ですが、現在は県道の耐震工事中のため、ダンプの出入りのためのシートやパワーショベル等が線路付近に置かれています。

 



 そして、「ひだ3号」。岐阜方先頭に85系の「高山本線80周年ラッピング」車(キハ85-12)が連結されていました。
 同号車は高山止まりで、10号に折り返すことになっており、それが岐阜周辺を走る14時頃に目撃したという情報もありました。
 
 そして坂祝から岐阜まで利用した3712D(土休日設定)は、鵜沼の時点でもある程度席が埋まり、岐阜に近づくにつれ立ち客も増えていました。

 岐阜駅では「しらさぎ5号・富山行」の発着時刻でしたが、「しらさぎ」の富山・和倉温泉行きは、北陸新幹線開業に伴って金沢止まりに変更されるようです。

 岐阜では、先日岐阜新聞に掲載された喫茶店での写真展示を見てきました。
 名前からすると女性による写真です。稲穂や花を中心とし、「列車」を遠景や広角でとらえる写真を中心に眺めました。キハ25形6連をつかまえて遠景に使うものもありました。同組成は今後もあまり出現する可能性がなく、それを遠くへ使うのは、我々にはもったいない使い方でしょう。
 
 


最後に雨の各務ヶ原駅の写真を。
  4721C