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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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  「ひだ」は1990年に8往復運転となり、その時から「エル特急」となっています。
 個人的にはその際に放映されたCMが好きなので、まずそれを出したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=4491_zTkrCc

 1968年から80系気動車により運転が開始され、現在の85系は1989年から「ひだ」の1往復で走り始め、同年のダイヤ改正で「のりくら」1往復が特急「ひだ」に変更。1990年の改正ではさらに「のりくら」の残り3往復と80系気動車の使用が廃止されて全て85系による特急8往復体制となりました。現在は10往復ありますが、これは1999年改正で2往復増発、その後一部列車の設定時間帯を変更して現状に至っているものです。

 この時特急がエル特急に変わったことの目に見える変化は、車両のグレードが上がったことと、特に名古屋・岐阜駅の発車時刻の「~分」が揃うようになったことです。
 エル特急は一般向けのキャッチフレーズが「数自慢・かっきり発車・自由席」で、本数そのものは1990年以前のダイヤで名古屋を発着した特急・急行と変わりませんが、改正前に1時間のうちに特急が2本走る時もあれば、1時間以上列車がないという間隔を、均すことで実現したようです。
  
・エル特急・ネットダイヤを強く志向した幹部の存在
・高山本線の電化複線化計画凍結

 どうしてもこの2つが頭から消えません。

 電化複線化は、飛騨地方の一部都市では悲願で、十数年にわたり運動され、国会議員も交えて国鉄に働き掛けが行われたとのことです。実際に国鉄も電化を計画して実現に動いたことがあり、その際、電柱が建植されましたが、後に計画が凍結されました。
 しかしこのような場合、以前お話しした1735Cのように少々変わった形で実現することもあります。
 JR東海の初期の幹部は、かなり昔から都市圏での電車形運転パターンの実現に取り組んでおり、その方が国鉄時代、名古屋鉄道管理局におられた際には「汽車から電車へ」を合言葉としたPLAN80をまとめられました。そのことと電化複線化に近い効果が表れる施策をとった形、それが「ひだ」の増発・L特急指定だったのではないかという気がします。
     
 

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