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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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 高山本線の下り列車で坂祝駅を出ると、右車窓に坂祝町役場が見えます。同線のこの地点は南西方向へ膨らんだR=600の曲線区間であるとともに、街路樹が植えられており、3月末から4月にかけて開花のシーズンでした。

 最初、坂祝町役場前で撮影を試みました。ここは当時街路樹が開花した状態でした。これを撮り込むことを狙いましたが、フェンスより線路側の障害物が邪魔になる部分が多く、撮影可能な場所が限られているようです。
 そこで、小学校前の歩道橋の西側から線路沿いの歩道を駅方向へ少々歩きました。
 (4月6日・3731
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 美濃川合駅で下車し、木曽川の橋梁を撮影するということを昨年行いました。
 上記写真は15時台に1往復あるキハ47による列車です。この時は線路にもっとも近づく場所が道路か民有地かわからない場所であったため、住民へ声をかけて撮っていました。
  しかし、インターネットサイトでは、東側から桜と絡めて撮られたものがあり、今年はこれを参考に撮影してきました。

 東側は川岸に舗装道路があり、桜並木が確かにありました。また、土休日ダイヤにおいても、6~8時台には3~4連が見られます。(他はほとんど2連)

 今年の桜シーズンは、これをめがけて撮影してきました。


 美濃太田7時23分発の3608Dで隣の美濃川合まで行きます。
 この列車は先日述べたように余命宣告された47・48形による4両組成で、被写体にしたいところですが、時間的にこれに乗車せざるを得ず残念。

 美濃川合駅は木曽川のすぐ北に位置し、住宅街の中にあります。
 その後、Yahoo地図上で北緯35.4435893,東経137.046724・川合町1丁目10とされる場所へ向かいました。近隣住民の方々が不安にならないよう、極力幅の広い道路を選んで大回りする方がいいと思います。

 まず、列車を間近に見るため、同場所で後続のキハ11×4の3610Dを迎えました。

次に、東側の桜並木の方へ移動しました。3605D:キハ11×3


 川へ降りる階段があり、さらに橋へ接近して3612D:キハ11×3を捉えました。
 そして3609D。JR東海の投資計画を読むと、どうやら高山本線・太多線では平成26年度に置き換えが行われるようなので、桜と東海カラーのキハ48・47との組み合わせは、今年が最後の可能性があります。高山などの飛騨エリアでは、4月後半までチャンスがあるようです。

 そして直線区間の写真がやたら多かったのですが、美濃川合駅の前後がR=402のカーブということで、撮影してみました。
  3611D:キハ11×4

新年度に入りました。消費税増など思うところはありますが、今回は脇へ置きます。

 ところで、愛知県等では3月28日頃から桜が満開になったと伝えられています。1日に岐阜~各務ヶ原で確認しました。ご報告します。
 
岐阜~各務ヶ原間では、以下の点で線路際まで色彩豊かな花を確認できました。
 
長森~那加:境川岸、全体の花が開く。最寄りは名鉄各務原線高田橋駅
那加~蘇原:新境川岸、全体の花が開く。最寄りは上記市民公園前駅
 名鉄各務原線六軒駅前へつながる通りと交差する踏切の付近にも木がありますが、開花は確認出来ていません。
蘇原~各務ヶ原:蘇原駅東側の、側道で隔てられた反対側の事業所敷地に木があります。工場の陰等で撮りにくそうな印象を持っています。

26日、新境川の開花状況を確認しました。
 線路に近い桜は、少数が開花、一部開花前の花弁が露出した状態の物が見えましたが、それ以外の大半には花の色が見られない状態でした。

 
 21日のアナザーカット

 
   そろそろ桜の季節ですね。
 そこで, 那加駅東の新境川橋梁(北緯35.400912, 東経136.840333)の桜の様子を確認しました。
 22日はつぼみの状態でした。



 一方で、各務原市民公園にはすでに開花しているものがありました。
 但し、ごく一部です。
 


  これから満開のシーズンとなります。24日には一部開花

 桜と高山本線列車とを撮影したものをインターネットで調べたところ、特に下呂・高山付近で撮影されたものが目立ちます。また、この那加駅東で撮影された物も見受けられます。
 この他、岐阜~美濃太田~多治見間沿線でも、坂祝駅らしき駅や、太多線の古井神社付近などで撮られたものがあります。これらは22日現在で花開いているかどうかは不明ですが、23日頃、一部で開花したとの報道がされました。

 

 さて高山本線にも導入されると公表されたキハ75に、3200/3300番台が登場したそうです。日本車両製造への入場が「鉄道ピクトリアル」に記載されていたとか。
 いつからどのような形で運用されることになるでしょうか。