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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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  (城北線 勝川・味美間車窓 2018年12月撮影をトリミング)
 2019年もよろしくお願いいたします。


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現在の太多線、多治見駅~可児駅間にあたる新多治見~広見間が、
東濃鉄道の手により1918年12月28日に開通し、それから100年が経過しました。
 まずはおめでとうございます。

  太多線の開通については、可児市の近隣の御嵩町史にも詳しく掲載されており、
この鉄道の敷設には、中央線開通によって取り残される旧中山道の宿場の人たちが、
自ら資金を出し合って鉄道を敷設することにより、少しでも挽回を試みるという意図が
あったようです。ただ、資材が高騰したとかで、軽便鉄道規格にせざるを得ず、
民間出資で投資も思うにまかせなかったらしく、高山本線と異なる急曲線などが
現在まで残されているのは、そのことによると思われます。

  (日中に臨時列車で運転されたキハ40・48) 
 この時は国鉄時代の車両が日中に走行したものですが、キハ48は国鉄時代(新造直後)から
あり、書籍の記録写真にも朱色で多数登場します。そのため、100年のうち40年近くがこの車両とともにあり、結構な割合なのだと驚きました。

 今後もより一層、重要な路線として活躍していくものと思います。

イオンモール津南開業のCMが流れていました。
 このイオンモールは紀勢本線の津~松阪の中間にある高茶屋駅が最寄とのことですが、
同駅は以前からジャスコの看板が見えていました。眼下に街が見えるにもかかわらず、
ホームには人の姿が少ないのが少々残念ではありますが、何かの契機に利用客が増えて
もらいたいと思います。

 個人的に同駅をじっくりと見た最初は、中部空港からの高速艇で津なぎさ町港に降り立った
時ですが、この時、津と松阪の間ではJR紀勢本線が東の海側、近鉄が西の海側を走っているの
だと身に染みて実感した覚えがあります。JRがこの区間に阿漕、高茶屋、六軒の駅しかなく、
久居も伊勢中川もないのは、ルートが海沿いだからということです。

 その伊勢中川は、JRの紀勢本線からは2km強西側にあるようですが、手元の書によると
名松線からは目と鼻の先にあると書かれていました。JR西日本は「JR河内永和」駅や
「JR俊徳道」駅などがあるようなので、目と鼻の先ほど近ければ、それに倣って名松線に
「JR伊勢中川」駅など面白いでしょうね。
全くの冗談ですが。

 そこで実際に伊勢中川駅から名松線の線路に向かって歩いてみました。地図では約870m、
10分ほどで踏切が見えてきたので、15分ほどでたどりつけるようです。

 ということで、伊勢中川~松阪間では、近鉄は紀勢本線と離れる代わりに名松線のそばに
あるということが分かりました。しかし名松線で近隣の駅となる権現前と伊勢八太は、
どちらも結構な距離があるため、乗り換えに向かないのは確かです。
 ちなみに伊勢中川駅の行先案内は、この時すでに全て液晶モニター式となっていました。
(企業のHPによると、2018年3月に変更された模様)
 


11月11日、今年は何かをしようと思い立ちました。


 ちょうど秋にもなり、名松線に久々に乗ってみようと思いました。この路線の主役はキハ11の300番台です。
 が、この日は後述の佐奈駅を優先したため短区間乗車に終わりました。

 また、数年前は同線も走っていたキハ11の0番台も、
依然として金城ふ頭にありました。

















 そして今年は多少違うものをお見せしようと思います。

「11」という数字だけで見まわすと、名古屋駅では「ひだ」号が主に11番線で、11号も同番線です。発車時刻が11時台であればよりベターですが、そんなことはどうでもいいことです。

 そして、駅ナンバーは、昨年JR東海の駅にも導入されましたが、関西本線の四日市駅に「CJ11」が付番され、名松線への往復の際に立ち寄り易い駅に付番となりました。
 実は先の0番台を見るあおなみ線の金城ふ頭駅も、「AN11」で、「11」となっています。

 そして、紀勢本線の「佐奈駅」。紀勢本線の東海区間は亀山以外全駅、高山本線は
岐阜~美濃太田と下呂、高山以外では案内用の「駅ナンバー」は付されず、佐奈駅にも
付番されてはいませんが、別の目的で番号があります。
 それはワンマン運転列車の車内で分かります。整理券に印刷される番号がそれで、
11月11日に佐奈駅で整理券を取ると、「2018.11.11 11佐奈」と印刷されたものが出てくるというわけです。
 高山本線で11番に該当する「上麻生」でも、これは同じと思われますが、今回はキハ11が現在愛知と三重にいるということで紀勢本線としました。
 ちなみに、保管しておきたいところですが、以前、たまたま手元に残った整理券に
テープを貼っておいたところ、印刷が浮き上がり、保存状態が大変悪化しました。
 保管方法を調査する必要がありそうです。

 

先日(10月21日)、さわやかウォーキングのコース内で美濃太田車両区の公開がありました。 個人的には姫駅旧駅名標の公開に驚いたのですが(喜ぶのは私くらいかと思ったので)
 紅葉の中を行くキハ48赤ツートン(撮影地はどこか)などの写真もありました。

  この日の内容は、詳細が各所で紹介され、個人的にいろいろ葛藤もあったのですが、思うところもあったので 書き残します。



 上の姫駅などは、太多線にゆかりのある人と約1名には大変深い、というのかまあ私が騒いでいるだけかもしれないのに、とは思いました。

 他はよく見ると、泉、根本など場所を示す言葉が入っているのですが、ここは明らかに人を示すもので、地名らしからぬ名称ということでは珍しいものです。(実際は湿地を暗示するものということですが)

 下の美濃白鳥駅は、国鉄から半年くらいのJR東海を経て長良川鉄道になっていますが、恐らく国鉄時代のものでしょう。

 隣の二日町駅は現在の白鳥高原駅のことです。







 

  近鉄や名鉄的な「急行」表示です。

 子の車両も時折用いられる、JRの
「快速みえ」の対抗馬として
近鉄に同じような車内設備の車両による
急行がありますね。
 その感覚で見ると、JRもこのような急行が
頻繁に岐阜から高山方面まで走る日が来るように
思えるのですが、実現は難しいだろう、と言われます。





 



 キハ85系の前のキハ80系は幕式ではなく、プレートを後ろから電照する方式で、そのプレートが残っていたようです。

 下の銘板のうち5枚は色がグレーで、ディーゼルではなくあの客車かと仮説を立てたところ、昭和45年の富士重工業、日本車両は、ユーロライナーの種車となったオハ12形の製造年次、メーカーと一致し、昭和60年名古屋工場改造も同列車の改造年と一致しました。