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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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JR東海道本線の金山駅で、東海道線上り線にあたる3番線にホームドアが設置されました。
 この先刈谷駅や名古屋駅等にも設置されるようです。今回はこの3番線のみで、4番線は今後
設置の予定、中央線ホームの1・2番線の見通しはまだ不明です。

 ネットサーフィンをしていたなかで中央線ホームへの設置をと書かれたものがありましたが、
現時点ではやや難しいのかなと思います。
 ホームドアの設置を求められるにつれて巨大化しそうな問題が一つあります。
それが車体長の違う車両の問題です。
 岐阜駅の3番ホームには、2両用の停車目標が2つあり、そのうち1つの停車目標には「75」とあります。行先案内表示を見ると、同じ普通列車でありながら乗車位置表示に四角と丸の表示がありますが、これは同じ3扉車でありながら、キハ75とキハ25では車体の長さが前者は21.3m、後者は20.1mと1.2m異なっており、そのために乗車位置が異なるのです。

 ホームドアを設置するには車両の寸法を揃えねばなりませんが、この車体長21.3mというのはキハ75だけでなく、85系、383系、373系もこの寸法で作られており、ホームドア設置の主要駅を増やすには、ドアに工夫をするのか車両を全部20m級にするのかという問題になるでしょう。

 とりあえず金山駅でも中央線ホームは、383系が客扱いするため見通しが難しいでしょう。
また、85系も熱田まで回送として走っていますが、何かのイベントでひだ号が名古屋の金山行きになる可能性もなくなるでしょう。
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元JR東海のキハ11をはじめJR各社の40・47・48形、さらには名鉄のキハ20・30も
渡ったミャンマーで政変が発生したそうです。

 日本の車両はどうなるかと思って少しネットで検索をしてみたのですが、そもそも車両の
輸出のみならず鉄道事業に関する指導そのものが 国際協力機構(JICA)のプロジェクトだった
そうで、日本の鉄道技術がミャンマーを通じて他国へ流出する可能性もあるなあと思いました。

 


 

寒気団がおりてきて、太平洋側にも雪がちらつきましたね。
 高山線では降雪に並々ならぬ苦労を強いられていますが、写真には優れたアクセントになります。

 ところでHC85が「高山線の特急ひだや紀勢線の特急南紀向け」に「正式に採用決定」されたそうで、おめでとうございます。





 キハ40に代わって烏山線の主役となった蓄電池車EV-E300形です。
 元名鉄のキハ8500が保管されている鉄道保存館が栃木県の那珂川町にありますが、そこへの最寄り駅がある路線に、次世代車候補のこの車両が運行されています。
 2050年に向けて温暖化への対応が加速しつつありますが、あと30年後には石油燃焼による車両が存続しているのでしょうか、それとも画期的な次世代車が現れるのでしょうか。


 名松線家城駅でのキハ11同士の交換風景

 「鹿島臨海鉄道6000形」 茨城県の鉄道の車両ながら、東海の某私鉄のような
赤の車体色・日本車両による製造、座席が転換クロスシートの車両でしたが、最近は
かなり減ってそろそろ絶滅危惧種かもしれません。

現在の高山本線の最初の開業区間にあたる岐阜・各務ヶ原間が開業して100年となり、
開業区間の各駅には記念するポスターが貼り出されたとのことです。

 各務ヶ原駅では、国鉄からJR東海に移行した頃に、駅舎にコンビニエンスストアが
設置されて話題となり(後に閉店、最近は待合室を除き撤去)ました。これは上りホーム側に
ある建物です。

 では、下りホーム美濃太田・高山方面の待合室の建物に注目したことはおありでしょうか。
私は全然気にもしていなかったのですが、ある時この建物をじっくり見てみて驚きました。

 

 あれは本当にこの時代の建物なのでしょうか。
 そうだとしたら築100年近いということになりますが、途中で修理名目で
建て替えられた可能性もあります。

 とにかく貴重な建物のようなので、無意識ではなく大事に使おうと思いました。