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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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3701C _5:38  普 通 美濃太田,,(美濃太田で高山行接続)
3703C _6:25  普 通 美濃太田,11,
4711C _6:53  普 通 飛騨古川,48/40ワンマン対応車
3705D _7:16  普 通  多治見_,11,(美濃太田で下呂行接、太多線内3612D)
3707D _7:44  普 通 美濃太田,48/40ワンマン車,
3709D _8:09  普 通 美濃太田,(40-5802,6300と2両のキハ47/48ワンマン未対応他)
3711D _8:31  普 通 美濃太田,48/40,(ワンマン改造車4両(普段))
3713D _9:10  普 通 美濃太田,11,(美濃太田で下呂行接) 3両
3715D _9:38  普 通 美濃太田,47/48一般車,(改正前は原則キハ47、改正後キハ48混入)
3717D 10:16  普 通 美濃太田,11, 4両
3719C 10:45  普 通 _多治見_,11,(太多線内3624C)
3721C 11:15  普 通 _多治見_,11,(太多線内3626C)
3723C 11:45  普 通 美濃太田,11,
3725C 12:15  普 通 _多治見_ 11(太多線内3628C)
3727C 12:41  普 通 _多治見_ 11(太多線内3630C)
4719D 13:15  普 通 飛騨古川 48/40ワンマン車(改正前は非ワンマン車)
3729C 13:45  普 通 _多治見_ 11 (太多線内3634C)
3731C 14:15  普 通 美濃太田 11,
4721C 14:45  普 通 飛騨古川 ,48ワンマン車
4723C 15:15  普 通 _白川口_ ,未確認
3733C 15:45  普 通 _多治見_ ,未確認

車両らん
11:キハ11を使用
48/40ワンマン対応車:ワンマン運転対応改造されたキハ48の3800/5800/6800番台を使用、キハ40が入る場合あり
48/40ワンマン未対応:キハ48、キハ40 5501を主に使用
47:キハ47を主に使用
 
未確認の物は確認し次第追加します。
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 16日、主に太多線について午前の様子を見ました。

 高山本線では、キハ48・47・40形を用いる列車に変化が出ました。
 詳細はKIROHA BBSや「高山本線運用掲示板」等に掲載されています。

 キハ11については、下り3705D、3713Dと上り3704D,3706Dでキハ11による3連、3717Dで4連
という設定が改正前と同様、3・4連運転として存続しました。従来ダイヤではキハ40系列で運転されていた下りの3707D~3711Dと3715D、4717C、4719D、上りの3724D、3736D等はキハ40系列が引き続き用いられ、キハ11への変更はありません。
 
 太多線では、引き続きキハ11が主力ですが、キハ47/48を使用する列車も存在します。このうち3608D~3609Dは、改正前キハ47×4であったものが、改正後の16日はキハ47×2+キハ48×2となりました。
 
 また、キハ11による列車も3610D~3611Dで4連運転があります。これは維持されました。3611Dの美濃太田着後、岐阜方と富山方の2両ずつに分かれ、岐阜方が高山本線上り普通となる設定も存続しました。
 次に土休日3連となる列車は、改正前の3604D~3605Dと3612D~3613Dがありました。これらも改正後にも存置されています。また3604D~3706D~3713Dとして美濃太田着後、前1両と後ろ2両とに分かれる設定となっていましたが、これも後ろ2両の充当列車にも変化がありません。3612D~3613Dは高山本線3704D~3705Dから直通します。また、改正前は先の3612Dの先頭車2両により運行されていた3632Cも、やはり改正前同様となっていました。

ダイヤ改正が間近に迫り、さる2月25日に改正後の普通列車のダイヤを掲載した時刻表が発売されたので、高山本線・太多線のページに目を通しました。
 両線のダイヤ改正について、ニュースリリースには一切言及がなかったのですが、今年度中にキハ25が一部導入されます。その準備があるとすれば、何らかの変化があると私は思いました。

 まずは高山本線ですが、同線の普通列車は以下のような変更でした。
 普通列車のうち、キハ11充当列車には、行路変更を思わせるような時刻・行き先等の変更は見受けられません。
 旧国鉄一般色ふう塗装車も混じるキハ48形ワンマン車には、行路変更に影響しそうな変更があります。岐阜~猪谷間列車であった1725D(4725D)は高山~猪谷間が別車両となり、高山止まりへ変更となりました。上りは最終1本前の飛騨古川~美濃太田間列車、1858D~1730C(4730C)が高山で区切られました。
 
 その他、改正前美濃太田発高山行の1717C(土休日は4717C)が、改正後は高山~猪谷間列車とつながり、猪谷行となります。また改正前は岐阜発高山行きであった1719D(4719D)は改正後、高山~飛騨古川間列車とつながり、飛騨古川行きとなります。
 但し、1717Cは「気動車ファンページ」の記載によると、少なくとも2013年から高山駅着後そのまま猪谷行きとなっていたほか、1719Dの飛騨古川延長も充当車両の高山駅での駐留時間内に収まるもので、行路の変更には影響しないようです。
 
   そして、キハ75等が改正後から運用入りするか否かについて、現在分かっていることは、
・ニュースリリース等での告知がない
・3月1日の岐阜・長森駅では改正後に3ドア車が入るという告知がない
・KIROHA BBSや「高山本線運転情報掲示板」等で、習熟運転を思わせるような試運転が報告されない
 ということです。

 キハ75はすでに高山本線で臨時列車として営業運行が行われた実績があります。昨年11月、事前の試運転の情報なく臨時運用に入ったなどの事例もあるので、突然運用に入ってもおかしくはないと思います。
 可能性はかなり少ないようですが、詳細は当日を楽しみに待つことにします。

 
 
 
 太多線では、多治見駅で一部の時刻の繰り上げ・繰り下げなどが行われました。しかし高山本線との直通列車、線内折り返しとも、スジは大まかには変わっていません。

1989年のプリントがありましたので記念に貼ります。後にスカート部が延長されたのは他サイトにありましたが、それ以外にも現在と少々異なっていた部分があります。

 上の写真は、高山本線の鵜沼駅で撮ったもののプリントをスキャンしたものです。
 下が最近のキハ11の近影です。
 上の編成の3両にはバックミラーがついていません。
 ワンマン運転の際の後方確認用のものなので、最初から全車が装備していそうなものですが、なぜ無いのか。
 
   この疑問を持って「鉄道ファン」誌1989年4月号の新車ガイドに目を通すと、次の示唆がありました。

 「この車により高山、太多、名松、参宮の各線で単車運転を拡大するほか、高山を除く各線ではJR東海としては初めてワンマン運転を実施します」
 高山本線では、単車運転の実施が想定されていたが、ワンマン運転は想定されなかったと読めます。
 そして「ワンマン運転設備つき」の項では「一部の車両を除き、運賃箱、(中略)自動放送装置などのワンマン運転設備を最初から備えています」という記載がありました。
 被写体のキハ11は、上で言う「一部の車両」にあたり、
 ワンマン運転の予定がないために、その装備を敢えてせずに営業に就いた、従ってバックミラーの装備がない、と推測します。
 
 これとは別に個人的に不思議に思っているのが、107~112の伊勢運転区への移籍です。
 0番台は10両にとどまりますが、寒冷地向けの100番台は23両製造されました。うち6両が
運用開始1年にして移籍しました。
 ちなみに0番台のうち、9番は後に事故によって廃車となりました。
 
 これについてネット上では、トイレのないことが災いしたとか、空転しやすいことが嫌われた、などの「説」が記されています。

 ただ、先の経緯より、一つ見えることがあります。

 この時期のキハ11の一部が、機器の整備等によってワンマン運転可能になるにも関わらず、敢えて機器を搭載せず、ツーマン運転の線区で運行されていた、ということです。
 高山本線は1990年のダイヤ改正で岐阜~美濃太田でのワンマン運転が開始されました。それ以外でワンマン運転の予定がないならば、未改造のツーマン車(すなわち当時ワンマン車がほとんどなかったキハ48等)で良く、キハ11を他の路線、紀勢線等へ入れれば、同線でワンマン運転を拡大可能となります。そのようなことではないかと思います。


 2月20日となりました。
 「鉄道ファン」誌には1989年2月20日営業開始とありましたが、これは3月のダイヤ改正に先駆けて太多線でワンマン運行が実施されたものです。

 以前、美濃加茂市の高校ご卒業で、東海の某県で長く働いている人と知りあったことがあります。高校を出た後も高校のある場所とあまり離れないところで就業する人がいることを知りました。

 岐阜~美濃太田~多治見の沿線、そして夕方の白川口行きも含めて高校生の利用が多いのですが、25年というと、キハ11が営業を開始した頃に高校生だった人は40歳前後ということで、片隅にいつもキハ11があったという人がいるのではなかろうか、と思いました。
 例えば高校時代は美濃加茂あるいは可児の高校まで通い、浪人の時も岐阜、多治見の塾へ。そして大学なり就職した後は、岐阜や多治見を夜に発車する列車で家路につく、という人が。

 そんな人にとっては、意外に大きな存在かもしれません。
 
 太多線に乗ると、根本や小泉から若者が大挙して乗ってきたり、3月頃はリクルートスーツの学生を見ることもあります。沿線に本部を持つ某スーパーは東証一部に上場しており、あこがれる学生が訪れるのに、太多線に乗るのでしょう。夜の下りは家路を辿る人々の疲れた顔が多いです。
  
 これからも安心して使える交通機関であることを願っています。

     根本駅の側道より  下切~可児間・カーブ区間
  
 ちなみに、全般検査を22年1月に受けた101の車体がつややかになりました。同車の全般検査が平成22年1月であるため、4年後となる先月に重要部検査を受けたと推測されます。
 ツイッター情報では、107が名古屋工場入場中とのこと。