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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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1989年のプリントがありましたので記念に貼ります。後にスカート部が延長されたのは他サイトにありましたが、それ以外にも現在と少々異なっていた部分があります。

 上の写真は、高山本線の鵜沼駅で撮ったもののプリントをスキャンしたものです。
 下が最近のキハ11の近影です。
 上の編成の3両にはバックミラーがついていません。
 ワンマン運転の際の後方確認用のものなので、最初から全車が装備していそうなものですが、なぜ無いのか。
 
   この疑問を持って「鉄道ファン」誌1989年4月号の新車ガイドに目を通すと、次の示唆がありました。

 「この車により高山、太多、名松、参宮の各線で単車運転を拡大するほか、高山を除く各線ではJR東海としては初めてワンマン運転を実施します」
 高山本線では、単車運転の実施が想定されていたが、ワンマン運転は想定されなかったと読めます。
 そして「ワンマン運転設備つき」の項では「一部の車両を除き、運賃箱、(中略)自動放送装置などのワンマン運転設備を最初から備えています」という記載がありました。
 被写体のキハ11は、上で言う「一部の車両」にあたり、
 ワンマン運転の予定がないために、その装備を敢えてせずに営業に就いた、従ってバックミラーの装備がない、と推測します。
 
 これとは別に個人的に不思議に思っているのが、107~112の伊勢運転区への移籍です。
 0番台は10両にとどまりますが、寒冷地向けの100番台は23両製造されました。うち6両が
運用開始1年にして移籍しました。
 ちなみに0番台のうち、9番は後に事故によって廃車となりました。
 
 これについてネット上では、トイレのないことが災いしたとか、空転しやすいことが嫌われた、などの「説」が記されています。

 ただ、先の経緯より、一つ見えることがあります。

 この時期のキハ11の一部が、機器の整備等によってワンマン運転可能になるにも関わらず、敢えて機器を搭載せず、ツーマン運転の線区で運行されていた、ということです。
 高山本線は1990年のダイヤ改正で岐阜~美濃太田でのワンマン運転が開始されました。それ以外でワンマン運転の予定がないならば、未改造のツーマン車(すなわち当時ワンマン車がほとんどなかったキハ48等)で良く、キハ11を他の路線、紀勢線等へ入れれば、同線でワンマン運転を拡大可能となります。そのようなことではないかと思います。
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