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2月20日となりました。
「鉄道ファン」誌には1989年2月20日営業開始とありましたが、これは3月のダイヤ改正に先駆けて太多線でワンマン運行が実施されたものです。
以前、美濃加茂市の高校ご卒業で、東海の某県で長く働いている人と知りあったことがあります。高校を出た後も高校のある場所とあまり離れないところで就業する人がいることを知りました。
岐阜~美濃太田~多治見の沿線、そして夕方の白川口行きも含めて高校生の利用が多いのですが、25年というと、キハ11が営業を開始した頃に高校生だった人は40歳前後ということで、片隅にいつもキハ11があったという人がいるのではなかろうか、と思いました。
例えば高校時代は美濃加茂あるいは可児の高校まで通い、浪人の時も岐阜、多治見の塾へ。そして大学なり就職した後は、岐阜や多治見を夜に発車する列車で家路につく、という人が。
そんな人にとっては、意外に大きな存在かもしれません。
太多線に乗ると、根本や小泉から若者が大挙して乗ってきたり、3月頃はリクルートスーツの学生を見ることもあります。沿線に本部を持つ某スーパーは東証一部に上場しており、あこがれる学生が訪れるのに、太多線に乗るのでしょう。夜の下りは家路を辿る人々の疲れた顔が多いです。
これからも安心して使える交通機関であることを願っています。
ちなみに、全般検査を22年1月に受けた101の車体がつややかになりました。同車の全般検査が平成22年1月であるため、4年後となる先月に重要部検査を受けたと推測されます。
ツイッター情報では、107が名古屋工場入場中とのこと。
記念行事としては25年を振り返る企画がすぐに思いつきます。
これを念頭に書籍を探したところ、渡利正彦氏の「岐阜駅物語」という岐阜新聞社発行書籍に行き当たりました。
この書は平成13年に発行されたもので、年表には1999年のダイヤ改正まで掲載されています。
岐阜駅に出入りしている東海道本線、高山本線の列車の様子や、岐阜駅の高架化工事時の写真なども収録されています。
私はその中でも1989年~2000年の写真を見たのですが、この書は写真を見るだけでも楽しいものです。
1.1988年、岐阜駅に到着するキハ40 577の単行
2.1989年、下呂行727Dに充当されたキハ11
3.1996年、岐阜駅4番線に停車するキハ11-104単行
4.2000年、飛騨金山行743Dに充当されるキハ47
1.キハ40 577は後にワンマン運転機器搭載とデッキ仕切り撤去改造を受け、現在はキハ40 5802となっていますが、キハ48運用の代わりか増結がほとんどで、高山本線では単行で営業運転に用いられることは珍しくなりました。同年頃にキハ40単行が岐阜~美濃太田においてもピストン運転を行っていたそうです。
2.キハ11が白川口以北に乗り入れなくなった時期については記載がありません。噂として下呂方面へ乗り入れていたとは耳にしていました。美濃太田から車両が変更された可能性もありますが、実際に下呂まで入っていたかもしれません。
3.高山・太多線でのキハ11の単行運転が実在したことになります。現在は最短でも2両編成で運行しますが、個人的には燃料費や日中の乗客の少なさを鑑みるに、単行運転も有り得るのではないかと思います。日中の列車は乗客が50人程度という列車もあります。
撮影日が1996年の写真によると、少なくとも13時台には実在したようですね。
ちなみにこの列車の幕は「岐阜ー美濃太田」で、これも現在はめったに目にしません。
4.「飛騨金山行き」
飛騨金山始発・終着の列車は、現在1往復のみです。1往復だけなら消えてもおかしくないはずですが、少なくとも下りの飛騨金山終着列車はなぜか30年以上前から下り列車1本という孤塁を維持してきました。
それもしぶといのですが、もう一つ、2000年の写真では、現在と同じキハ47充当となっていました。キハ47による飛騨金山行きは、1999年に同車が美濃太田区へ入ってから10年以上維持されている可能性があります。
長森駅での撮影について。
2月16日は、掲示板で駅撮りの場所として触れた覚えがありますが、
今回長森に出向き検証してみました。
本日は3710Dのキハ11-103+キハ11-102に乗車。長森駅で下車する前、乗客は50人ほどでした。
この駅は、特別列車運転時に夕方ならホームの富山側の端に陣取り、東方向へカメラを構える人がいました。その点で撮影場所として好む人はいるようです。
そして停車中の撮影ですが、午前は下り方に太陽があります。列車の停車位置は3両が中ほど、4両以上の列車はホームの富山方先端近くに停車します。
2月16日の3715Dの停止寸前(ブレています)
恐らく人の顔は判別しがたいと思います。
夕方の下りはこの通りです。1月19日撮影分です。
駅舎などの影が長く伸びるので美しくはありません。
ということで、この駅で停車中に撮ることは、あまりお勧めできないという結果に至りました。
ちなみに、ネットではもっと以前に行われた方が多数いらっしゃいます。
同じこの駅で撮影してももっと美しい写真を掲載したサイトが多々ありますので、当ブログはあくまで実験、ということでお願いします。
「長森駅 撮影」で幾つか出てきました。
そして、先週kiroha bbsで話題になった、第3蔵前踏切東側で撮影したものです。長森駅の岐阜方面ホームから外に出、東へ数分歩いた場所です。
今年は高山本線沿線で撮影場所に関する情報の需要があると見込むのですが、撮影技術がどうにも。
上記と下の写真は、姫駅の南西側で線路と並行する道路より撮りました。
高山本線3713Dは毎回賑わいますが、この日もそこそこ混んでいました。
3620Cは可児駅で30人ほど。
3630Cは学生が多く、下切~可児間で70人程度が乗車。
なお、
編成は、
高山本線3713Dがキハ11-104+キハ11-113+キハ11-121
3619C 102+117
3620C 120+115
3622C 104+113
3630C 104+113
3632C 101(岐)+キハ11-106(多)
皆様今日もありがとうございました。
1月26日は3721Cに乗車しました。119+103で車内の乗客は少なかったようです。
2月1日は3712Dに乗車しました。106+104の編成で、長森到着頃2両で100人程度の乗客でした。土曜休日の岐阜着9時前後は、JR名鉄ともども多少客が多い時間帯のようです。
この日は「春節」の2日目でしたが、中国語を話すにも関わらず、旅の途中とも思えない女性が車内に4人ほどいました。中国出身で既に日本在住の人もいるのでしょう。
ところで、これまでの写真の中から、幌の3態の写真を掲載します。
キハ11の幌は40系列と異なります。
40系列は私の見るところ、幌が
岐阜寄りの貫通扉にのみ装備され、
富山寄り貫通扉には枠のみが存在します。
幌つきが好みの場合は上り方の先頭を狙えば撮影できることになります。
キハ11はこれと異なり、岐阜寄り・富山寄りとも先頭がフラットな状態です。
貫通扉の周囲の枠内に幌を収納するタイプで、岐阜・富山寄り両側に収納式のものを装備し、車両併合時は両側から伸ばして連結する形になっています。
この幌については雑誌「鉄道ファン」のキハ11関係の記載などでは見かけることはなく、「私鉄気動車30年」の記載の中に、同時期に製造された新潟鉄工所製のAT100形が装備していた「半幌」の記載があるのですが、この車両の幌も、従来の車両と比べると、ちょうど長さが半々に分かれることもあり、それではないかと思います。
貫通扉を囲む白枠が一部外された状態
前後の車両のこの白枠が合い、ネジ等で固定されて幌が貫通します。
ところで、この幌は横方向の支えが表からは見えないにも関わらず、中だるみして落下することがありません。それでいて通常は貫通扉脇に収まります。連結した際に何が幌の姿勢を支えているのか、いつも不思議です。
白枠同士があわされた連結時の状態