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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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当ブログにおいては高山・太多線方面について多く扱ってきました。
 ただ、「ひだ」「南紀」両特急とも現在は1号車が自由席で、「ひだ」の下りの最初の停車駅岐阜は営業キロ30.3km、「南紀」は営業キロ23.8kmの桑名です。
 この両者、一駅だけですが愛知県と岐阜県、三重県の県境があるため、今年のコロナ禍では
両方向とも不要不急では利用自粛ということになった点では同じですが、違うところがあるな、ということで「南紀」に乗ったことがあります。

 ですがその「南紀」号が、この11月よりグリーン車がなくなり、モノクラスの2両~6両で
運転するとのことです。同プレスリリースによると、1号車はもとより2号車もキハ85となり、
3~4両編成の場合は両先頭車の間に中間車のキハ84を挿入せず、2号車のキハ85の先に別車両を連結することになるようです。

 そうするとキロハ84が編成から外れて余剰になる一方、繁忙期には今まで以上にキハ85が
多量に必要になるでしょう。ということはキロハ84は一部が廃車になるのか、だとしたら
どの車両か、繁忙期、「ひだ」と両方で増結が必要になった場合、普通車は足りるのか、
足りないとしたらどうするのか、など様々な疑問がわいてきます。キロハ84が必要になる可能性もあるので、「連結する日があります」くらいの書き方で良いのにという気もしました。

 ところが、11月1日以降も、何と一部にはキロハ84が増結されるという話が。それならば
キロハ84の使途が見えてきて一件落着、と思われました。
 が、10月4日現在では11月1~4日分しか分かりませんが、このキロハ84連結列車は11月1日の「南紀」の2・4・5・8号で、2~4日の列車には見られないようです。
 この2・4・5・8号では、グリーン車室はあるが「満席」扱いとされ、2号車は9番から14番のみの6列となっています。10月31日に名古屋を出発する列車のうち、新宮方で滞泊となる3号と7号にもグリーン車があるので、翌日は編成をそのまま使用しつつグリーン車営業だけやめた形になると思われます。

 現状では分からないことがまだまだあります。


 


 

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美濃太田駅では、朝の運用のあとに入庫する車両同士が併結される事例が以前は
よく見られました。この事例は以前のキハ11・40形の時からキハ75になっても見られました。
 youtubeに、2015年のダイヤで午前10時頃3両組成を3本まとめた9両運転の列車の動画が
あり、これが午前10時頃というのですが、この列車が2020年にどうなっているか、平日に
都合がついたので、見に行ってきました。
 
 写真の通り、6両編成となっていました。これは以前あった岐阜~美濃太田間の回781Dでも
みられたもの(この回781Dが現在存在するかについては確認していません)で、同区間でも
撮影できることになります。
youtube・9連回送
写真についてサイズを縮小しました。ご不便をおかけしました。

今回の飛騨地方の豪雨で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 高山本線も2004年、2018年に次いで今回も被災し、長期不通区間が発生しました。
 ただ今回は、不通区間が被災から1カ月たたずに飛騨小坂~渚間の1駅間に絞り込まれました。

 特急列車は名古屋~岐阜~下呂と高山~富山間で運転、普通列車は7月18日より岐阜方からは飛騨小坂まで、富山方からは渚までの運転となったそうです。


 えっ、

 コロナウイルスが拡散して以降列車の利用客が減っているとか、度重なる豪雨が九州や
飛騨地方を襲うなど、暗いニュースが多いですが、この運転再開時のこの名前で少し楽し
ませてもらいました。

 思い出の渚(の駅舎)
 
 渚へ行こう、と思って写真を撮ったわけではありません。

 ヒット曲の歌詞で想定している場所が、よもやこの土地ということはないでしょうが。



遅くなりましたが、2020年あけましておめでとうございます。

 数年前、何か月か飛水峡で写真を撮ったことがありましたが、あの場所の通過列車で最も多いのは、普通列車、すなわちキハ25やキハ75ではなく特急「ひだ」です。

 

それ以来やっぱりアレにも乗りたい、と思い始めました。これには実は都合のいいプランがあるそうですね。

     

それと元国鉄急行→JR北海道の夜行快速「ミッドナイト」で使われたキハ27形、この車両のあるホテルに近い焼岳も最近大丈夫なのか、という気がしたので、これを見に行ってみることにしました。

 キハ27の「顔」は窓や灯器類、タイフォンなどが揃えられて、きちんと維持されています。 床下機器は台車、エンジンなどが揃い、こちらも塗りなおされていたようです。  昨年改元にあわせてリニューアルされただけのことはありました。  道路側の側板はひびなどのないきれいな状態になっていましたが、従来あった乗務員室扉、側扉が見えなくなり 、昔とは趣が異なるかもしれません。 ここは鉄道ファンの間でも賛否が分かれそうなところでしょう。しかし外板の補修に関しては、やむを得ない面もあると思われます。  営業電車を見る限り、程度が良いように見えますが、保存車などでは保存が始まってから10年たたないうちに劣化しているところを見ることがあります。鉄道会社でも普通鋼車体では検査ごとに多数の箇所の修繕を行っているようで、まして部外者には補修がかなり大変で、車両保存に取り組まれている方も、金も人も資材もないと嘆いておられました。

 まずは私は鉄道車両が遺されていることだけでもありがたいと思うこともあります。ホテルの今後の繁栄を祈ります。


山口智充氏の番組で美濃加茂市の旅の企画が行われていましたが、彼らが
ボートにのったあの公園は太田橋近隣にあり、たまたま私も5月30日に行った
ところでした。

 そして、今週は7月13-15日には「紀勢本線全通60周年記念号」が運転されました。
相可口(現在の多気)からは1934年に尾鷲まで達し、和歌山からは紀伊木本(現在の
熊野市)まで1940年に開業しましたが、尾鷲から熊野市までが難工事となったため、
全線開通は1959年まで持ちこされたとのことです。

 しかし何しろ遠いなあ、ということで四日市へ(謎)。
 近鉄の急行は6両でも満席という時が多いですが、一方でJRの「みえ」も最近は
土休日には津から名古屋まで座れない時もあり、両者ある程度の客がついているよう
です。

 まず伊勢鉄道車両。
 
 そしてもう一つがこれです。
 

 発車標はというと、現役で存在しましたね。

 早くかえろともいつまでも残せとも言うつもりはありませんが、いつまで残るのでしょうか。

 そして近鉄の駅には特急の号車表示が存在し、これにパタパタが残されている駅があります。
これは近鉄四日市ではなく白子などに残っているようです。