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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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公表の通り19日、202号が城北線を離れて稲沢へ送られました。
 同車は朝の休日運休の運用を勝川で終了した後、枇杷島へ回送されて1号となり、
勝川到着後に2号で再び枇杷島へ向かい、回送で勝川へいったん入庫しました。
 そこで送り出す準備を行い、定期列車120Hの後に回送として枇杷島1番線へ入り、
13時26分頃に同駅を発車、稲沢線を下って稲沢へ向かった模様です。

 この日朝の202号の定期列車としての運転時は空いていましたが、ありがとう列車1/2号は通路にも客が立つほどの混雑であったようです。

 引退に際して会いに来ようとする方が多数いらしたということは、喜ばしいというか
キハ11を何度も取り上げた私にとってもありがたいことです。
 
 1980年代までは旧国鉄の瀬戸線と呼ばれ、高架が建ち、早期開業の願いを表した看板なども
あったにも関わらず、開業の見込みがないとされてきた路線です。

 単行気動車ながら一応の「列車」が走り始めてから、もちろん安全運行が続けられながら、イベントや車両内外の装飾を行うなど、住民の目を引き客を勧誘する努力がなされてきました。

 古くは車両の搬入、製造元の新潟の工場からの輸送、ハイキングなどで臨時列車が
走ったことなどのトピックスが、さまざまな機会に鉄道雑誌にも掲載されていました。
それでそこそこ全国的に知られていたのでしょう。

 202号も5月、7月などにはマークを、12月には電飾をつけるなど、話題作りにも
役立てられてきましたね。

 開業から25年になるこの年になっても、列車編成が1両で済む路線は
今後も鉄道路線として続けるにはかなりの厳しさを伴うでしょうから、
遊び心を持った企画は通りにくくなるかもしれませんが、
列車の安全とともに楽しい企画等が実施されることを願っています。

    
      定期列車
  先週日曜のものもこれではなかったかと思います。
 
  210/211H

; ありがとう列車1号ありがとう列車2号

ありがとう列車で枇杷島へ向かった後、
勝川に戻った202号 12時頃
 稲沢への発車直前
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