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美濃太田車両区所属のキハ11は通常、高山本線の岐阜~美濃太田間か太多線内での運行がほとんどだが、夕方の1723C(土曜休日は4723C)~1720C(土曜休日は4720C)で白川口駅まで運行される。写真は岐阜駅で撮影した白川口行き列車である。その駅がある街とはいかなる街か、5月12日に探訪した。(5月20日に一部修正)
岐阜県の「白川」といえば白川郷が有名だが、この駅は、白川郷からは南に離れた「加茂郡白川町」の駅で、下呂市の南に位置する。
白川口駅は、特急の一部も停車するが、西側の崖と東側の川に阻まれるためか、駅の周辺には町の主要施設が見当たらず、商店などの賑わいも少ない。このことが以前から不思議だった。
5月12日はJR東海「さわやかウォーキング」が開催される日で、コース中に町民会館などに立ち寄るという。
先の結論は、線路や駅が町の西の端にあり、町の中心施設は飛騨川をへだてた東側にあるということだった。
最初のポイント、「白川橋」。
大正15年、大阪の日本橋梁の製作らしい。
南側から撮影。
白川町町民会館の玄関とパイプオルガン
当日は「かも1グランプリ」が開催された。
白川茶を練りこんだスパゲティなどが覇を競っていた。
それでもキハ11がやってくる16時33分までは時間があった。
同グランプリの会場は「清流白川クオーレの里」のアウトドアエリアだった。2箇所に分かれており、施設はさらに奥にもあった。それが左の写真の建物である。白川の川原で遊ぶことも可能になっていた。
そのサムネイル画像を。
白川口発4720Cの画像は、また後日。
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左は、昨年2月20日夜に撮影したものに、2011年11月13日のさわやかウォーキング時の写真を組み合わせたものです。
「鉄道ファン」1989年4月号によると、この日がキハ11の営業開始日で、営業開始23年目に123号が来たので大慌てで撮りました。
ところが間違いが2つ。まず「DEJI@気動車ファンのページ」によると、123号の営業開始はこの日ではなかったとのこと。そして2月20日に運行開始されたのは太多線のみだった、ということのようです。高山本線で運行開始されたのは同年3月11日で、そして現在のような岐阜~多治見の直通運転と、岐阜~美濃太田間ワンマン運転が開始されたのは1990年3月改正。
それにしても24年の月日は掘り起こすと様々な思い出がありそうな気がします。
「鉄道ファン」1989年4月号によると、この日がキハ11の営業開始日で、営業開始23年目に123号が来たので大慌てで撮りました。
ところが間違いが2つ。まず「DEJI@気動車ファンのページ」によると、123号の営業開始はこの日ではなかったとのこと。そして2月20日に運行開始されたのは太多線のみだった、ということのようです。高山本線で運行開始されたのは同年3月11日で、そして現在のような岐阜~多治見の直通運転と、岐阜~美濃太田間ワンマン運転が開始されたのは1990年3月改正。
それにしても24年の月日は掘り起こすと様々な思い出がありそうな気がします。
まず、平日の運用調査ですが、現在出向く機会を作ることができておりません。未定になりました。
大変お待たせして申し訳ありません。
さて、毎日活動していながら話題に取り上げられることが少ないキハ11ですが、記録をということで証拠を確保しました。
ここは桜が満開でしたがやや撮影しづらい場所でした。
大変お待たせして申し訳ありません。
さて、毎日活動していながら話題に取り上げられることが少ないキハ11ですが、記録をということで証拠を確保しました。
ここは桜が満開でしたがやや撮影しづらい場所でした。
岐阜県の岐阜市から富山県富山市までを結ぶ高山本線という路線があります。
その岐阜駅から美濃太田駅までと、太多線はJRになってから、飛躍的に列車本数が増え、乗客も増えました。
両線で運行の主力となっているのが、キハ11というディーゼルカーです。
全長18m(車体長17.5m)、車体幅2.7mながら自重は28.6t。キハ40系列よりも10t軽く、あの209系のモハ208に匹敵する軽量です。ホワイトベースのカラーはかつてのディーゼルカーでは汚れが目立つなどと言われ、避けられてきたと聞いていたので、感動した覚えがあります。まったくの国鉄時代からの転換の旗手的存在といえました。
そして座席。JR東海に入った211系0番台と同様の座席です。同車はそれまでの113系などのブルー系から打って変わりピンク系の色になりました。「しば漬け」のようなこの色と、クロスシートのバケットの複雑な形状が個人的には気に入っているのですが、JR東海において同系ではクロスシートがレアな存在になり、結果としてキハ11の採用例の方が多くなっています。その点で注目に値します。
そこで、その動きについて調べてみました。次からはそのリストです。
その岐阜駅から美濃太田駅までと、太多線はJRになってから、飛躍的に列車本数が増え、乗客も増えました。
両線で運行の主力となっているのが、キハ11というディーゼルカーです。
全長18m(車体長17.5m)、車体幅2.7mながら自重は28.6t。キハ40系列よりも10t軽く、あの209系のモハ208に匹敵する軽量です。ホワイトベースのカラーはかつてのディーゼルカーでは汚れが目立つなどと言われ、避けられてきたと聞いていたので、感動した覚えがあります。まったくの国鉄時代からの転換の旗手的存在といえました。
そして座席。JR東海に入った211系0番台と同様の座席です。同車はそれまでの113系などのブルー系から打って変わりピンク系の色になりました。「しば漬け」のようなこの色と、クロスシートのバケットの複雑な形状が個人的には気に入っているのですが、JR東海において同系ではクロスシートがレアな存在になり、結果としてキハ11の採用例の方が多くなっています。その点で注目に値します。
そこで、その動きについて調べてみました。次からはそのリストです。