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飛騨地方に大雨が降り、
高山本線も下呂から猪谷まで運転見合わせとなり、一時は70周年に続いて80周年も暗転するかと心配したところでしたが、19日から復活し、被害が10年前よりは軽く済んだようでなによりです。
復旧なり異常事態の中での対応をされた方々お疲れ様でした。
そこで、80周年に便乗し、昔のプリント写真を出してみます。
1990年・鵜沼
1988年・岐阜
40系は17:45発の飛騨金山行きで、58系の方は営業車か留置車かは不明ですが、当時の時刻表では17:45の飛騨金山行(右)の後に18:01の美濃太田行きがあり、恐らくそれではないかと思われます。
高山本線も下呂から猪谷まで運転見合わせとなり、一時は70周年に続いて80周年も暗転するかと心配したところでしたが、19日から復活し、被害が10年前よりは軽く済んだようでなによりです。
復旧なり異常事態の中での対応をされた方々お疲れ様でした。
そこで、80周年に便乗し、昔のプリント写真を出してみます。
1990年・鵜沼
1988年・岐阜
40系は17:45発の飛騨金山行きで、58系の方は営業車か留置車かは不明ですが、当時の時刻表では17:45の飛騨金山行(右)の後に18:01の美濃太田行きがあり、恐らくそれではないかと思われます。
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先週土曜、岐阜駅で変わり種のバスを見かけました。
キハ11が営業運転を開始してから、来週で25年目を迎えます。
記念行事としては25年を振り返る企画がすぐに思いつきます。
これを念頭に書籍を探したところ、渡利正彦氏の「岐阜駅物語」という岐阜新聞社発行書籍に行き当たりました。
この書は平成13年に発行されたもので、年表には1999年のダイヤ改正まで掲載されています。
岐阜駅に出入りしている東海道本線、高山本線の列車の様子や、岐阜駅の高架化工事時の写真なども収録されています。
私はその中でも1989年~2000年の写真を見たのですが、この書は写真を見るだけでも楽しいものです。
1.1988年、岐阜駅に到着するキハ40 577の単行
2.1989年、下呂行727Dに充当されたキハ11
3.1996年、岐阜駅4番線に停車するキハ11-104単行
4.2000年、飛騨金山行743Dに充当されるキハ47
1.キハ40 577は後にワンマン運転機器搭載とデッキ仕切り撤去改造を受け、現在はキハ40 5802となっていますが、キハ48運用の代わりか増結がほとんどで、高山本線では単行で営業運転に用いられることは珍しくなりました。同年頃にキハ40単行が岐阜~美濃太田においてもピストン運転を行っていたそうです。
2.キハ11が白川口以北に乗り入れなくなった時期については記載がありません。噂として下呂方面へ乗り入れていたとは耳にしていました。美濃太田から車両が変更された可能性もありますが、実際に下呂まで入っていたかもしれません。
3.高山・太多線でのキハ11の単行運転が実在したことになります。現在は最短でも2両編成で運行しますが、個人的には燃料費や日中の乗客の少なさを鑑みるに、単行運転も有り得るのではないかと思います。日中の列車は乗客が50人程度という列車もあります。
撮影日が1996年の写真によると、少なくとも13時台には実在したようですね。
ちなみにこの列車の幕は「岐阜ー美濃太田」で、これも現在はめったに目にしません。
4.「飛騨金山行き」
飛騨金山始発・終着の列車は、現在1往復のみです。1往復だけなら消えてもおかしくないはずですが、少なくとも下りの飛騨金山終着列車はなぜか30年以上前から下り列車1本という孤塁を維持してきました。
それもしぶといのですが、もう一つ、2000年の写真では、現在と同じキハ47充当となっていました。キハ47による飛騨金山行きは、1999年に同車が美濃太田区へ入ってから10年以上維持されている可能性があります。
記念行事としては25年を振り返る企画がすぐに思いつきます。
これを念頭に書籍を探したところ、渡利正彦氏の「岐阜駅物語」という岐阜新聞社発行書籍に行き当たりました。
この書は平成13年に発行されたもので、年表には1999年のダイヤ改正まで掲載されています。
岐阜駅に出入りしている東海道本線、高山本線の列車の様子や、岐阜駅の高架化工事時の写真なども収録されています。
私はその中でも1989年~2000年の写真を見たのですが、この書は写真を見るだけでも楽しいものです。
1.1988年、岐阜駅に到着するキハ40 577の単行
2.1989年、下呂行727Dに充当されたキハ11
3.1996年、岐阜駅4番線に停車するキハ11-104単行
4.2000年、飛騨金山行743Dに充当されるキハ47
1.キハ40 577は後にワンマン運転機器搭載とデッキ仕切り撤去改造を受け、現在はキハ40 5802となっていますが、キハ48運用の代わりか増結がほとんどで、高山本線では単行で営業運転に用いられることは珍しくなりました。同年頃にキハ40単行が岐阜~美濃太田においてもピストン運転を行っていたそうです。
2.キハ11が白川口以北に乗り入れなくなった時期については記載がありません。噂として下呂方面へ乗り入れていたとは耳にしていました。美濃太田から車両が変更された可能性もありますが、実際に下呂まで入っていたかもしれません。
3.高山・太多線でのキハ11の単行運転が実在したことになります。現在は最短でも2両編成で運行しますが、個人的には燃料費や日中の乗客の少なさを鑑みるに、単行運転も有り得るのではないかと思います。日中の列車は乗客が50人程度という列車もあります。
撮影日が1996年の写真によると、少なくとも13時台には実在したようですね。
ちなみにこの列車の幕は「岐阜ー美濃太田」で、これも現在はめったに目にしません。
4.「飛騨金山行き」
飛騨金山始発・終着の列車は、現在1往復のみです。1往復だけなら消えてもおかしくないはずですが、少なくとも下りの飛騨金山終着列車はなぜか30年以上前から下り列車1本という孤塁を維持してきました。
それもしぶといのですが、もう一つ、2000年の写真では、現在と同じキハ47充当となっていました。キハ47による飛騨金山行きは、1999年に同車が美濃太田区へ入ってから10年以上維持されている可能性があります。
3月16日、ダイヤ改正がありました。高山本線・太多線関係では大きな変動はなかったのですが、17時30分発の美濃太田行きが17時29分発に変更。炊いた線にごじ飯の列車が無くなったのが寂しい。
3月18日は城北線の枇杷島開業とキハ11営業開始から20周年。
3月24日、各務原大橋が開通しました。私はこの写真を4月7日に見物しました。この橋を通るルートが各務原市役所に最も近いようです。
3月31日は、桜が満開の時期でしたが、高速バスの岐阜京都線が同日をもって廃止されました。右は乗客の方が写っていたので加工してあります。各務原市や関市からも関西へ直行できる便で、中でも愛知県犬山市発着が異例でした。
4月14日は多治見市の陶器まつりが開催されました。この車両が多治見駅に顔を出していたことの記念として、キャラクター商品とともに撮りました。
5月19日、岐阜駅にて。3717Dと「キハ11が岐阜駅にいた証拠写真」を。
6月はハイキングで白川町を訪れました。現在の北限と言われている白川口にいた「証拠写真」です。
6月22日・昭和村を訪れました。「JRパノラマカー」なる謎の乗り物が。
JR東海でも名鉄でもなく、JR北海道の旧「フラノエクスプレス」でした。
昔の交通の主力として一枚。
7月7日、太多線の木曽川の橋梁で撮影しました。(立ち入りに許可を取りました・サムネイル)
この間目ぼしいものがないので省略します。
2013年12月11日、太多線下切~可児間(トリミング済み・サムネイル)
12月30日。美濃太田で3717D後の入れ替え中の一幕です。
最後にJRの関係の方、美濃加茂市の方々、ご覧頂いた皆様、インターネット上でご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
3月18日は城北線の枇杷島開業とキハ11営業開始から20周年。
3月24日、各務原大橋が開通しました。私はこの写真を4月7日に見物しました。この橋を通るルートが各務原市役所に最も近いようです。
3月31日は、桜が満開の時期でしたが、高速バスの岐阜京都線が同日をもって廃止されました。右は乗客の方が写っていたので加工してあります。各務原市や関市からも関西へ直行できる便で、中でも愛知県犬山市発着が異例でした。
4月14日は多治見市の陶器まつりが開催されました。この車両が多治見駅に顔を出していたことの記念として、キャラクター商品とともに撮りました。
5月19日、岐阜駅にて。3717Dと「キハ11が岐阜駅にいた証拠写真」を。
6月はハイキングで白川町を訪れました。現在の北限と言われている白川口にいた「証拠写真」です。
6月22日・昭和村を訪れました。「JRパノラマカー」なる謎の乗り物が。
JR東海でも名鉄でもなく、JR北海道の旧「フラノエクスプレス」でした。
昔の交通の主力として一枚。
7月7日、太多線の木曽川の橋梁で撮影しました。(立ち入りに許可を取りました・サムネイル)
この間目ぼしいものがないので省略します。
2013年12月11日、太多線下切~可児間(トリミング済み・サムネイル)
12月30日。美濃太田で3717D後の入れ替え中の一幕です。
最後にJRの関係の方、美濃加茂市の方々、ご覧頂いた皆様、インターネット上でご協力いただいた皆様、ありがとうございました。