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写真は昨年の七夕の202号です。
さて、キハ11の鋼製車が東海地区で
営業するのは、この3月限りということに
なりそうです。
城北線の202号は19日の朝の定期列車と
「ありがとう列車」、その後の回送列車を
もってこの線では終了となります。
またJR東海の伊勢区に残る3と7と10について、ダイヤ改正後、紀勢本線と参宮線にはキハ11の運用がない(すべてキハ25・75)ので300番台は名松線のみの運用となります。また、40系列が引退すると、車体が鋼製の車両自体がJR東海ではほとんど消滅することになり、この機会に現在残っている先の3両も一掃される可能性があります。
19日のイベントは鋼製車の引退としては唯一のものとなりそうです。
ホームランやサッカーのゴールというよりはバントやパスといった運行ではありましたが、
これでmozoへ行ったとか、星の宮の人が名古屋へ出るのに使った等という方で賑わって
もらいたいものです。
果たしてどうなるでしょうか。
私の心に残ったものといえば、初めて名鉄の列車の中から電飾をきらめかせるこの車を見たことと、最後のキリンの工場見学目当てにハイキングに参加したこと、時期にマッチしたヘッドマークににんまりしたことなどです。
さて、キハ11の鋼製車が東海地区で
営業するのは、この3月限りということに
なりそうです。
城北線の202号は19日の朝の定期列車と
「ありがとう列車」、その後の回送列車を
もってこの線では終了となります。
またJR東海の伊勢区に残る3と7と10について、ダイヤ改正後、紀勢本線と参宮線にはキハ11の運用がない(すべてキハ25・75)ので300番台は名松線のみの運用となります。また、40系列が引退すると、車体が鋼製の車両自体がJR東海ではほとんど消滅することになり、この機会に現在残っている先の3両も一掃される可能性があります。
19日のイベントは鋼製車の引退としては唯一のものとなりそうです。
ホームランやサッカーのゴールというよりはバントやパスといった運行ではありましたが、
これでmozoへ行ったとか、星の宮の人が名古屋へ出るのに使った等という方で賑わって
もらいたいものです。
果たしてどうなるでしょうか。
私の心に残ったものといえば、初めて名鉄の列車の中から電飾をきらめかせるこの車を見たことと、最後のキリンの工場見学目当てにハイキングに参加したこと、時期にマッチしたヘッドマークににんまりしたことなどです。
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名鉄栄生駅では、1日の段階で、LEDの行先案内が設置されていましたが稼働はせず、
旧来のフラップ式のものが稼働していました。
( 後日追記:栄生駅のものは4月の時点ではLEDのものが稼働し、それとともにホームも
リフレッシュされて新しい雰囲気となっていました。)
それと栄生というと、あまり遠くない場所に押切交差点があります。この北西の一角に
「押切町」駅があり、名鉄名古屋駅(旧称・新名古屋駅)が開設される前の一宮・岐阜・犬山
方面への起点となっていました。
栄生から押切交差点までは、上更交差点から交差する国道22号へ入ることになります。
この国道22号線は、東枇杷島駅の脇で名古屋鉄道線と交差するだけでなく、道なりに東
(東南)の方向へ向かうと、「新御園橋」交差点があり、それが瀬戸線の旧堀川駅に
近接しているとのこと。
瀬戸線の堀川駅は、かつての起点で、瀬戸の陶器を瀬戸から運び、ここで近くを流れる
堀川を往来するはしけに積み替えていたようです。
ちなみに、列車が走る前は国鉄瀬戸線と呼ばれていたのが現在の城北線で、計画時は
瀬戸から稲沢への貨物線ということでした。瀬戸といえばせともの輸送で、稲沢というと
以前から貨物列車の拠点となっていたところです。
せとものを貨物列車の拠点である稲沢へ運ぶ目的で計画されたのでしょうね。
名岐鉄道・瀬戸電気鉄道時代のターミナル同士は、現在の名古屋駅・栄駅よりもっと近接
していたようですね。
旧来のフラップ式のものが稼働していました。
( 後日追記:栄生駅のものは4月の時点ではLEDのものが稼働し、それとともにホームも
リフレッシュされて新しい雰囲気となっていました。)
それと栄生というと、あまり遠くない場所に押切交差点があります。この北西の一角に
「押切町」駅があり、名鉄名古屋駅(旧称・新名古屋駅)が開設される前の一宮・岐阜・犬山
方面への起点となっていました。
栄生から押切交差点までは、上更交差点から交差する国道22号へ入ることになります。
この国道22号線は、東枇杷島駅の脇で名古屋鉄道線と交差するだけでなく、道なりに東
(東南)の方向へ向かうと、「新御園橋」交差点があり、それが瀬戸線の旧堀川駅に
近接しているとのこと。
瀬戸線の堀川駅は、かつての起点で、瀬戸の陶器を瀬戸から運び、ここで近くを流れる
堀川を往来するはしけに積み替えていたようです。
ちなみに、列車が走る前は国鉄瀬戸線と呼ばれていたのが現在の城北線で、計画時は
瀬戸から稲沢への貨物線ということでした。瀬戸といえばせともの輸送で、稲沢というと
以前から貨物列車の拠点となっていたところです。
せとものを貨物列車の拠点である稲沢へ運ぶ目的で計画されたのでしょうね。
名岐鉄道・瀬戸電気鉄道時代のターミナル同士は、現在の名古屋駅・栄駅よりもっと近接
していたようですね。
土曜日、海ナコのキハ25・75・95・97の留置状況を眺めました。
キハ25はM1編成と他2編成が留置。
M1(1009)は数日前にもありました。その前はM2(1010)の留置が続いて
いましたが、M0番台編成(1009~1012)は、やはり高山本線・太多線で使えるように
備えてあるようですね。
キハ75も2両1編成が留置。この75は美濃太田のものです。51号~8号終了後の
留置車なのでしょうか。
キヤ97もありました。
そして普段はあまり気にしない85系で変わっていたのが、モノクラス5両組成の存在です。
キハ85-1104とキハ85-1の間にキハ84の5,11,204が連なる編成です。
「ひだ」の基本編成のうち、グリーン車のない組成は富山発着列車の高山折り返し、
もしくは19号に用いられる3両、10号等の4両で、5両貫通も、ましてモノクラスというのは
「ひだ」の基本編成が4両に短縮されて(1990年頃は基本が5両だった)以来、あまり見ません。
キハ25はM1編成と他2編成が留置。
M1(1009)は数日前にもありました。その前はM2(1010)の留置が続いて
いましたが、M0番台編成(1009~1012)は、やはり高山本線・太多線で使えるように
備えてあるようですね。
キハ75も2両1編成が留置。この75は美濃太田のものです。51号~8号終了後の
留置車なのでしょうか。
キヤ97もありました。
そして普段はあまり気にしない85系で変わっていたのが、モノクラス5両組成の存在です。
キハ85-1104とキハ85-1の間にキハ84の5,11,204が連なる編成です。
「ひだ」の基本編成のうち、グリーン車のない組成は富山発着列車の高山折り返し、
もしくは19号に用いられる3両、10号等の4両で、5両貫通も、ましてモノクラスというのは
「ひだ」の基本編成が4両に短縮されて(1990年頃は基本が5両だった)以来、あまり見ません。
2016年2月17日の栄生駅・行先案内表示を見てきました。
昨年上小田井駅のものがこの時期にLEDに変わったので、昨年と似た進行状況であれば、
今年、この時期に新型表示器稼働の可能性が高いと思われましたが、同日は従来のフラップ式が
存続していました。
ちなみに、三重県の駅を訪れたところ、近鉄には津や松阪といった主要駅でも残っている
ようですね。両駅はJRと近鉄が一体化した駅ですが、JRの方はLEDを用いたものです。
昨年上小田井駅のものがこの時期にLEDに変わったので、昨年と似た進行状況であれば、
今年、この時期に新型表示器稼働の可能性が高いと思われましたが、同日は従来のフラップ式が
存続していました。
ちなみに、三重県の駅を訪れたところ、近鉄には津や松阪といった主要駅でも残っている
ようですね。両駅はJRと近鉄が一体化した駅ですが、JRの方はLEDを用いたものです。
本日は2月12日ですが、以前豊橋駅でたまたまクハ212-5012を撮っていたので貼ります。
さて、11日に太多線の小泉と根本の間へ行きました。
根本駅で撮るつもりでした
3618C 根本駅(キハ25充当)
停止目標が意外に気にならないと自分では思います。
この東側は店か個人の邸宅かがあります。
が、小泉方に片側が大きく開け、線路の反対側が丘という場所があったので、
そちらへ行ってみました。
小泉・根本間では、下り列車の右方向に、水田か畑か開けた場所があります。
そこで撮影しました。
3615C 小泉~根本間(キハ75)
側道からではなく、少し遠い場所からとしました。
11日夕方にsaron kirohaを見たところ、10日に長森駅の東側で人身事故があったとのこと。
現場が山県踏切から第三蔵前踏切、その東の線路にかけてだということでした。
列車を撮影する場所か否かには、線路との間の障害物の有無も関わります。
しかしその障害物がないことは、我々が列車を撮りやすいことだけではなく、
例えば列車を侵入する人人や飛来物などから防護する盾がないことでもあります。
紹介した場所で、人が入り込むなどして事故が発生したことが残念です。