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今年1月から競馬情報番組の担当となったキー局アナのレポートが話題になっています。
「ジョッキールームなどの舞台裏をレポートした彼女は、騎手たちがイメージトレーニングなどに使用する木馬に跨って」(gooいまトピ)騎乗を体験したが、その時の状況が衝撃的だったとのこと。この方は岐阜出身で、その局には2013年に入社されました。しかし、彼女が出演する地上波の番組は岐阜に流れていないため、BS出演がある意味貴重な番組です。それが1月の登場以来、あちらの方で大きな話題になっています。
この方の人気が上昇すれば、発信力も上がると思われるため、岐阜の知名度向上に寄与する可能性も高まります。しかし、あの路線が行き過ぎると問題も生じると思われます。
ただ多少人気が向上したのにあやかって、過去の語録を少々出します。
「大人だなあって感じるところですか?」
好きなブランドの服を給料で買った時などと言うのかと思ったら、
「チャージ、Suicaとかのチャージを3000円とかで一気にチャージした瞬間!」と。
ではICカードが出始めた時は彼女にとっていつ頃にあたるかと考えると、トイカと岐阜バスのアユカはいずれも2006年で、彼女が高校生の時代にあたります。その時代の3000円は彼女にとって貴重だったのでしょう。
彼女の周辺に「節約の鬼」がいるという話の際に、例に挙げたのが「3駅歩こう」という話。この時、相方が、10kmくらいある時もある、と軽い反論をした回がありました。3駅で10kmといえば、岐阜~蘇原間10.4kmが、まさにこの通りの区間です。
ちなみにお化けが怖いので部屋はカーテンも閉め切るなどともおっしゃっていました。
現状で伊勢車両区のものは営業に使用中であるため、該当車両は美濃太田車両区のものと考えられます。
twitter投稿を時系列に並べると、次のようになります。
6日 美濃太田車両区出発線 17:47頃 (it5704氏投稿)102+117+114+103+122+116
7日 笠寺駅停車 7:01頃(313 Y7氏投稿) 7:38頃(akito2571氏投稿) 8:26頃(HOKI1000氏投稿)
7日 後撃ち写真 9:33頃投稿(tobu2ch氏投稿)
この写真は非電化単線区間を走行中のもので、臨海鉄道らしい機関車が付いています。
しかし、その後以下のような投稿があり、この時はまだ移動していなかった可能性があります。
7日 「キハ11の譲渡回送が17:13に笠寺発車」Ef65Kamotu氏投稿
岸壁での車両の様子がキロハの掲示板に出ていますが、あちらの写真は、よく撮れたものだと思います。
8日 12:05 tobu2ch氏のツイートから、昨日笠寺にいたキハ11がまだ東港にいることは確認できます。午後は、名電築港駅の東築線側が閉鎖されていた(すなわち臨海鉄道の東港から名鉄東名古屋港への列車がない)ことと、岸壁の線路にキハ48×2がいたことが分かっています。
なお、同日朝には次のキハ47+48+48も笠寺に到着したとの情報(tobu2ch氏、9:28)があります。
9日 掲示板情報によりますと、7日早朝に笠寺にいた6連が、ふ頭へ移動した模様です。また、伊勢車両区からの3両(112-111-6)が笠寺へ到着しました。
「キハ11 111」も今回の輸出組なのですね。
これでキハ11は、1回目7両+2回目6両+3回目3両の16両が移動することになり、公式リリースで示された16両と合致します。また40系列も、1回目7両+2回目2両+3回目3両の12両となって、こちらも公式リリースの数量と合致し、輸出分は先の陣容となるものと思われます。
日本にとっては外貨が入ることにもなりますし、日本の車両を理解をしてもらうチャンスでもあります。また、二国で同じ車両が走ることが、あちらの人にも多少なりとも日本へ興味を持つことにつながるかもしれません。
あちらでも大事に使われることを願っています。
そして、掲示板、twitter報告のおかげで移動状況がどこでも詳細に分かります。報告なさったみなさん、ありがとうございます。
私も途中参加できたら、と思ったので3730Cに乗ることにしましたが、この日はそれまで
キハ25を結構見ました。
なお、桜が満開になる時期は、各務原市などは例年3月末から4月初旬です。この撮影日は5日で、既に散ったものも多くありました。従って5日を過ぎると、私はこの周辺では期待しないようにしています。岐阜・各務原・美濃太田などでは、4月初旬が終盤と考えて良いのではないでしょうか。
ひだ号
4月5日の3724D/25形4両
桜は今週はすでに散り始めていますが、それでも先週と比べると鮮やかなピンク色が増えた印象です。
次の2枚の写真は、ほぼ同じ新境川の川岸の道路から撮りました。
3月28日の3729C 4月5日の4719D
「ひだ」は1990年に8往復運転となり、その時から「エル特急」となっています。
個人的にはその際に放映されたCMが好きなので、まずそれを出したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=4491_zTkrCc
1968年から80系気動車により運転が開始され、現在の85系は1989年から「ひだ」の1往復で走り始め、同年のダイヤ改正で「のりくら」1往復が特急「ひだ」に変更。1990年の改正ではさらに「のりくら」の残り3往復と80系気動車の使用が廃止されて全て85系による特急8往復体制となりました。現在は10往復ありますが、これは1999年改正で2往復増発、その後一部列車の設定時間帯を変更して現状に至っているものです。
この時特急がエル特急に変わったことの目に見える変化は、車両のグレードが上がったことと、特に名古屋・岐阜駅の発車時刻の「~分」が揃うようになったことです。
エル特急は一般向けのキャッチフレーズが「数自慢・かっきり発車・自由席」で、本数そのものは1990年以前のダイヤで名古屋を発着した特急・急行と変わりませんが、改正前に1時間のうちに特急が2本走る時もあれば、1時間以上列車がないという間隔を、均すことで実現したようです。
・エル特急・ネットダイヤを強く志向した幹部の存在
・高山本線の電化複線化計画凍結
どうしてもこの2つが頭から消えません。
電化複線化は、飛騨地方の一部都市では悲願で、十数年にわたり運動され、国会議員も交えて国鉄に働き掛けが行われたとのことです。実際に国鉄も電化を計画して実現に動いたことがあり、その際、電柱が建植されましたが、後に計画が凍結されました。
しかしこのような場合、以前お話しした1735Cのように少々変わった形で実現することもあります。
JR東海の初期の幹部は、かなり昔から都市圏での電車形運転パターンの実現に取り組んでおり、その方が国鉄時代、名古屋鉄道管理局におられた際には「汽車から電車へ」を合言葉としたPLAN80をまとめられました。そのことと電化複線化に近い効果が表れる施策をとった形、それが「ひだ」の増発・L特急指定だったのではないかという気がします。
某掲示板やtwitterによると、美濃太田車両区から名古屋市内の笠寺~名古屋臨海鉄道東港へ移動した車両のキハ40系が30日、キハ11が31日に大江ふ頭へ入ったとのことです。
キハ40系列は、数日前に車両限界が名鉄より広いために東名古屋港駅を通過云々と書いていましたが、掲載写真では同駅を通過し、その先で先頭の機関車を切り離したと思しき印象です。
他のブログには豊川市の日本車輛製造による台湾向け落成車が東海道線笠寺~東港~名電築港~東名古屋港のルートでふ頭へ運ばれているとあり、東名古屋港駅は名鉄の限界よりも車両限界が大きくなっているようです。東名古屋港駅のホーム高さが他に比べて極端に低いのは、 甲種輸送車輛のためでもあるのですね。
ところであちらでどのような使われ方をするのか分かりませんが、美濃太田区のキハ11は、ここ数年、例えば117であれば、113か121と組む機会が頻出するなどし、車両ごとに併結する際の「相性」があることを感じさせたり、午前・夜のみで昼前から夕方まで使われない運用と、早朝から~夕方ラッシュまでで終了する運用など、終日休みなしに用いられる運用は少なく、デリケートな扱われ方をしていた印象があります。
富士山にある一部の山小屋では、ディーゼル発電機を1台で終日使うことはせず、複数を交互に用い、機器を休ませる使い方をすることを耳にし、キハ11もフル稼働を避けて交互に休ませるのかと納得した覚えがありました。
はたしていつまでもつでしょうか。