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ツイッターで最近、キハ11に関しては3・4両組成が話題になりました。
高山本線での4両編成は、岐阜駅の時刻で10時16分発の美濃太田行下り717D(土曜休日は3717D)と、
18時41分発多治見行739D(土曜休日3739D)、美濃太田から岐阜方面は、同駅17時55分発の1720D(土曜休日は4720D)となります。

このうち717D(土曜休日3717D)は、上り列車として到着する2両編成2本が岐阜駅で併結されて運用されることを先日確認しました。
太多線では平日が604D~605D~612D~613Dと608D~609Dであるほか、休日も運行されるようです。
3両編成は高山本線と太多線で少々異なり、高山本線は平日が朝の704~705D、706~707D、708~709Dの3往復と、夕方の752D~741Dだったと思います。704~705Dは休日運行(3704D~3705D)でも同様に3両で、平休日ともそのまま太多線へ直通し、1往復します。夕方は平日の16~18時台が3両で、19時台前半に美濃太田へ到着する多治見発の列車から1両切り離されます。太多線の土曜休日は、少なくとも3605Dと3612Dが3両ですが、昼間以降はほとんど2両です。
高山本線での4両編成は、岐阜駅の時刻で10時16分発の美濃太田行下り717D(土曜休日は3717D)と、
18時41分発多治見行739D(土曜休日3739D)、美濃太田から岐阜方面は、同駅17時55分発の1720D(土曜休日は4720D)となります。
このうち717D(土曜休日3717D)は、上り列車として到着する2両編成2本が岐阜駅で併結されて運用されることを先日確認しました。
太多線では平日が604D~605D~612D~613Dと608D~609Dであるほか、休日も運行されるようです。
3両編成は高山本線と太多線で少々異なり、高山本線は平日が朝の704~705D、706~707D、708~709Dの3往復と、夕方の752D~741Dだったと思います。704~705Dは休日運行(3704D~3705D)でも同様に3両で、平休日ともそのまま太多線へ直通し、1往復します。夕方は平日の16~18時台が3両で、19時台前半に美濃太田へ到着する多治見発の列車から1両切り離されます。太多線の土曜休日は、少なくとも3605Dと3612Dが3両ですが、昼間以降はほとんど2両です。
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5月26日、JR東海の「さわやかウォーキング」・「ロマンチック街道で結ぶ旧中山道宿場町を訪ねて」コースが開催された。
「ロマンチック街道」は坂祝町から美濃加茂市まで木曽川に沿う街道で、美濃太田駅を出発して太田宿の町並みから木曽川へ出、坂祝まで行き、そこから国道21号線と「日本ラインうぬまの森」を通り、各務原市にある鵜沼宿を巡って鵜沼駅に至るコースであった。


2つの宿場をめぐることで、江戸時代の旅人にかえった気分になれる趣向がおもしろい。
太田宿からロマンチック街道に入ってしばらくの木曽川の風景である。
また、確かに花が鮮やかに咲いていた。
しかし個人的にはコースの後半、坂祝からしばらく高山本線に接近することで、撮影場所を探すことができるメリットもあった。コース前半の坂祝町までは、線路と大きく離れていた。
撮影可能に見えたのが「小桜踏切」だった。
地図上では、国道21号線の各務原市・坂祝町の市町境から勝山西までの間唯一線路と交差する道路がある。この踏切を指すようだ。線路が21号線に比べて高い位置にあり、舗装されていない道を登って線路を過ぎると、「けものみち」同然だった。

高山本線には線路に並行して電柱が建っている区間があるが、ここは比較的邪魔が少なかった。踏切より国道側から撮った。時間は正午前で、太陽が真上にあった。線路は地図によると北東から南西向きに走っている。この前後はR=402のカーブとなっているようだ。
上り列車の後追い。
踏切が開いている時間に線路側から撮った人がいたので、踏切を山側に渡って撮影してみた。当ブログの主役・キハ11が来た。
時間がないのでこれしかないが、こちら側から岐阜側を望む場合は、踏切横の器具箱に阻まれる。山側からの撮影はかなり厳しいようだ。この撮影中、列車の風圧を強く受けた。
そしてこの場所は、坂祝駅から徒歩25分とのことだが、周辺に駐車場がない。
あまりお勧めはできなさそうなので、別の日に貞照寺道踏切付近で撮影したものを。

撮影時間は16時頃である。線路が南北に走っているところを西から撮るので、光線は悪くないと思われる。また、ここは時間によっては各務原市の「ふれあいバス」もある。
「ロマンチック街道」は坂祝町から美濃加茂市まで木曽川に沿う街道で、美濃太田駅を出発して太田宿の町並みから木曽川へ出、坂祝まで行き、そこから国道21号線と「日本ラインうぬまの森」を通り、各務原市にある鵜沼宿を巡って鵜沼駅に至るコースであった。
2つの宿場をめぐることで、江戸時代の旅人にかえった気分になれる趣向がおもしろい。
しかし個人的にはコースの後半、坂祝からしばらく高山本線に接近することで、撮影場所を探すことができるメリットもあった。コース前半の坂祝町までは、線路と大きく離れていた。
撮影可能に見えたのが「小桜踏切」だった。
地図上では、国道21号線の各務原市・坂祝町の市町境から勝山西までの間唯一線路と交差する道路がある。この踏切を指すようだ。線路が21号線に比べて高い位置にあり、舗装されていない道を登って線路を過ぎると、「けものみち」同然だった。
高山本線には線路に並行して電柱が建っている区間があるが、ここは比較的邪魔が少なかった。踏切より国道側から撮った。時間は正午前で、太陽が真上にあった。線路は地図によると北東から南西向きに走っている。この前後はR=402のカーブとなっているようだ。
上り列車の後追い。
時間がないのでこれしかないが、こちら側から岐阜側を望む場合は、踏切横の器具箱に阻まれる。山側からの撮影はかなり厳しいようだ。この撮影中、列車の風圧を強く受けた。
そしてこの場所は、坂祝駅から徒歩25分とのことだが、周辺に駐車場がない。
あまりお勧めはできなさそうなので、別の日に貞照寺道踏切付近で撮影したものを。
撮影時間は16時頃である。線路が南北に走っているところを西から撮るので、光線は悪くないと思われる。また、ここは時間によっては各務原市の「ふれあいバス」もある。
「運用」カテゴリで長い間ご不便をおかけしております。
当初、2011年版を作成した際にカテゴリーを「運用」としました。その後2012、2013と改正毎に調査結果をアップしています。しかし、古い版にアクセスされる方が多いにもかかわらず、最初の版では調査年を明確に入れていなかったため、年次を明確化することを目的として「運用」のカテゴリーを年次ごとに分けることにしました。
お手数をかけますが、よろしくお願いします。
各改正後の運行順については、カテゴリーの
JR東海>車両>キハ11>2011運用
JR東海>車両>キハ11>2012運用
JR東海>車両>キハ11>2013運用
をご覧ください。
当初、2011年版を作成した際にカテゴリーを「運用」としました。その後2012、2013と改正毎に調査結果をアップしています。しかし、古い版にアクセスされる方が多いにもかかわらず、最初の版では調査年を明確に入れていなかったため、年次を明確化することを目的として「運用」のカテゴリーを年次ごとに分けることにしました。
お手数をかけますが、よろしくお願いします。
各改正後の運行順については、カテゴリーの
JR東海>車両>キハ11>2011運用
JR東海>車両>キハ11>2012運用
JR東海>車両>キハ11>2013運用
をご覧ください。
美濃太田車両区所属のキハ11は通常、高山本線の岐阜~美濃太田間か太多線内での運行がほとんどだが、夕方の1723C(土曜休日は4723C)~1720C(土曜休日は4720C)で白川口駅まで運行される。写真は岐阜駅で撮影した白川口行き列車である。その駅がある街とはいかなる街か、5月12日に探訪した。(5月20日に一部修正)
岐阜県の「白川」といえば白川郷が有名だが、この駅は、白川郷からは南に離れた「加茂郡白川町」の駅で、下呂市の南に位置する。
5月12日はJR東海「さわやかウォーキング」が開催される日で、コース中に町民会館などに立ち寄るという。
先の結論は、線路や駅が町の西の端にあり、町の中心施設は飛騨川をへだてた東側にあるということだった。
最初のポイント、「白川橋」。
大正15年、大阪の日本橋梁の製作らしい。
南側から撮影。
白川町町民会館の玄関とパイプオルガン
白川茶を練りこんだスパゲティなどが覇を競っていた。
それでもキハ11がやってくる16時33分までは時間があった。
そのサムネイル画像を。
白川口発4720Cの画像は、また後日。
5月4日、3714Cで岐阜へ出掛けました。
この日の3714Cは蘇原での乗車が多く、長森~岐阜間で後ろ50名ほど、前の車両は立ち客が多く前進が難しかったと思います。
岐阜市には交通関係で興味深いものがいくつかありますが、 今回は二つのみ話します。
タワー43でのイベントのついでに、43階から撮影をしてみました。高山本線が岐阜から東に走っているので、上り列車はライトが近づいてくる様子を見渡すことができます。しかし、当然ながら車両が小さすぎました。そして、岐阜駅の東側は結構架線柱が立て込んでいるため、車両の顔を撮る場合のチャンスが、ホーム屋根の端を外れる瞬間のみのようです。
もうひとつは路面電車の遺物。
徹明町交差点に、旧徹明町駅をしのぶ形見があります。
徹明町は、名鉄岐阜市内線の途中の電停であるとともに、美濃町線の起点でもありましたが、ここには「駅舎」というか事務所がありました。2013年5月4日に確認したところ、ここはまだ残っています。
ここ数年、旧美濃町線のモ603が解体され、市ノ坪地区の工場跡地が再出発していますが、まだ面影をしのべる場所といえるでしょう。写真は以前に撮影したものです。

この日の3714Cは蘇原での乗車が多く、長森~岐阜間で後ろ50名ほど、前の車両は立ち客が多く前進が難しかったと思います。
岐阜市には交通関係で興味深いものがいくつかありますが、 今回は二つのみ話します。
タワー43でのイベントのついでに、43階から撮影をしてみました。高山本線が岐阜から東に走っているので、上り列車はライトが近づいてくる様子を見渡すことができます。しかし、当然ながら車両が小さすぎました。そして、岐阜駅の東側は結構架線柱が立て込んでいるため、車両の顔を撮る場合のチャンスが、ホーム屋根の端を外れる瞬間のみのようです。
もうひとつは路面電車の遺物。
徹明町交差点に、旧徹明町駅をしのぶ形見があります。
徹明町は、名鉄岐阜市内線の途中の電停であるとともに、美濃町線の起点でもありましたが、ここには「駅舎」というか事務所がありました。2013年5月4日に確認したところ、ここはまだ残っています。
ここ数年、旧美濃町線のモ603が解体され、市ノ坪地区の工場跡地が再出発していますが、まだ面影をしのべる場所といえるでしょう。写真は以前に撮影したものです。