[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
16:02着 みえ14号 鳥羽発 12番線
16:03発 ひだ15号 高山行 11番線
16:09着 ひだ12号 飛騨古川発 7番線
16:10着 南紀6号 紀伊勝浦発 12番線
特に時刻表の上ではひだ12号と南紀6号の発着ホームは少々離れているので、
両方見に行くには、分身以外に手がないのか?
実際はもっとゆっくりしても良さそうです。
ひだ12号は到着後15分頃まで、南紀6号は24分頃まではホームにいる模様です。
例えば入線から発車まで時間のあるひだ15号を眺め、その後関西ホームへ行き、そこで
みえ14号の到着を出迎え、そして引き上げ時間の早いひだ12号を見に行き、最後に南紀6号を
眺めるという方法が可能となります。
ところでこのひだ12号、名古屋駅での到着番線が少々変わっています。
この7番線は、向かいの8番線とともに、普段発着する列車のほとんどは、中央西線多治見・中津川方面の普通、快速列車です。それもかなり頻繁になっており、中央線が多忙な中になぜ「ひだ」を入れるのかは考え出すと暇つぶしにはなるネタでしょう。
ちなみに8番線で待機する中津川行き快速は3月5日から315系となり、高山線特急を降りたら目の前に中央線の新型車がいるというある意味素晴らしい光景です。
同列車から中央線へ乗り換えるのにエレベーターや階段を使わずに済むため、
「ひだ12号」は最も中央線に乗り換えしやすい「ひだ号」ということになるのでしょうか。
ちなみに12時台後半には11番線に「ひだ11号」、12番線に「南紀5号」が並びます。
ただ「ひだ11」は7両以上、「南紀5」は2両で、停車位置は全く揃わないのが撮り鉄の上での難点かと思われます。
ただ、「ひだ」「南紀」両特急とも現在は1号車が自由席で、「ひだ」の下りの最初の停車駅岐阜は営業キロ30.3km、「南紀」は営業キロ23.8kmの桑名です。
この両者、一駅だけですが愛知県と岐阜県、三重県の県境があるため、今年のコロナ禍では
両方向とも不要不急では利用自粛ということになった点では同じですが、違うところがあるな、ということで「南紀」に乗ったことがあります。
ですがその「南紀」号が、この11月よりグリーン車がなくなり、モノクラスの2両~6両で
運転するとのことです。同プレスリリースによると、1号車はもとより2号車もキハ85となり、
3~4両編成の場合は両先頭車の間に中間車のキハ84を挿入せず、2号車のキハ85の先に別車両を連結することになるようです。
そうするとキロハ84が編成から外れて余剰になる一方、繁忙期には今まで以上にキハ85が
多量に必要になるでしょう。ということはキロハ84は一部が廃車になるのか、だとしたら
どの車両か、繁忙期、「ひだ」と両方で増結が必要になった場合、普通車は足りるのか、
足りないとしたらどうするのか、など様々な疑問がわいてきます。キロハ84が必要になる可能性もあるので、「連結する日があります」くらいの書き方で良いのにという気もしました。
ところが、11月1日以降も、何と一部にはキロハ84が増結されるという話が。それならば
キロハ84の使途が見えてきて一件落着、と思われました。
が、10月4日現在では11月1~4日分しか分かりませんが、このキロハ84連結列車は11月1日の「南紀」の2・4・5・8号で、2~4日の列車には見られないようです。
この2・4・5・8号では、グリーン車室はあるが「満席」扱いとされ、2号車は9番から14番のみの6列となっています。10月31日に名古屋を出発する列車のうち、新宮方で滞泊となる3号と7号にもグリーン車があるので、翌日は編成をそのまま使用しつつグリーン車営業だけやめた形になると思われます。
現状では分からないことがまだまだあります。
ダイヤ改正では、特に夜のひだ号下り3本の時刻が変更に
なるとのことですが、以前の最終列車関係のネタに少々関心を
お持ちの方がおられるのではないかと思います。そこで、
今回はひだ19号と最終列車時刻を比較してみたいと思います。
下の739Dは普通列車、39Dは今改正後のひだ19号を指します。
1981年 2018年
739D 39D
名 古 屋発 20:05 20:18 +13分
岐 阜発 20:39 20:42 +03分
美濃太田着 21:28 21:01 -27分
美濃太田発 21:35 21:02 -33分
下 呂発 22:51 22:03 -48分
高 山着 23:53 22:49 -64分
ただし739Dは、岐阜・美濃太田間で
一部駅間の所要時間が他列車より長く、
岐阜ー長森間が4分、各務ヶ原ー鵜沼間で5分、
鵜沼ー坂祝間2分の余分にかけており、
普通に走れば所要時間がその分短縮される
ようでした。
いずれにせよ、高性能車両と特急運転の効果により
劇的な時間短縮となったようです。
最終列車同士でも比較してみます。
両列車とも下呂ー高山間では5駅を通過します。
1981年 2018年
739D 1735C
岐 阜発 20:39 21:45 +66分
美濃太田着 21:28 22:19 +51分
美濃太田発 21:35 22:23 +48分
下 呂発 22:51 23:38 +43分
高 山着 23:53 24:27 +34分
JR東海の動きは主に東海道新幹線のN700系増とさらなる時間短縮いったところです。
この近辺では美濃太田区にあったキハ75形1編成が名古屋区に移り、同区所属の
キハ25形1000番台1編成が美濃太田へ移るトレードが行われたとのことです。
名古屋へ移ったのは3連車に使われたワンマン運転未対応車ですが、3連にはワンマン対応
車の組み込みが増え、それによって運用できなくなったところをキハ25-1000が補うのでしょう。
さて時刻表をぱらぱら見ていて目立ったのが上記4715C。
これまでは土曜休日に限り岐阜~下呂間運行でしたが、その土休日が岐阜~美濃太田(3709D列車)列車と、美濃太田~下呂(4715C列車)とに分断されました。
昨年、この列車で岐阜~下呂間を1000番台で乗り通すべく意気込んで岐阜駅へ行ったことが
ありました。目の前に残念ながらというかそんなでもないかも、という0番台編成がやって
きて、その日は下呂まで2両目の車端部のロングシートで座ってみた、なんてことがありました。
美濃太田9時台後半は朝輸送が終了する時間帯で、一部車両が車庫へ引き上げてメンテナンスなどを行う時間のような印象です。4715Cが岐阜から直通の場合、朝から使い続けて下呂駅で小休止
させることになり、15時過ぎまで美濃太田に戻れないことになりそうですが、美濃太田で車両を変えると問題が緩和されるのかもしれません。
(7月追加)
岐阜駅9時10分発美濃太田行3709Dの後運用について、6月3日に見たところ、
この日は太多線の美濃太田10時35分発多治見行3622Cでした。(他の日がどうかは不明)
この日3709Dで美濃太田へ行き、直近の太多線列車で撮影場所へ向かったのですが、
そこで列車を待っていると、走ってくるのはどこかで見た番号のヤツでした。
終点とのことで一度下車した車両が、30分後を追いかけてきたわけで、驚きました。
この編成はその日多治見、岐阜、多治見と何度か太多線を走行しました。
今回、ダイヤ改正についてまだあまり記していないので、前回のダイヤ改正との変更点を挙げます。時刻表を参照される際、見どころを見つけていただければと思います。
下りは
1.岐阜5:38発の美濃太田行きの列車番号が701Cから1705Cに変更
この列車の次に美濃太田発の1705Dがあります。JTB版の大型時刻表では、1705Cと1705Dを直通と表示していなかったのですが、実際は両者同じ車両のようです。40系により、岐阜から高山までの直通となった模様です。
ちなみに改正前はキハ11による「701C」でしたが、岐阜発は始発列車番号の下1桁が5番となり、そして後の700番台の下り列車の番号も繰り上がったので、ややこしくなりました。
2.岐阜9:10発の改正前・美濃太田行が、改正後は太多線の列車と合わさって多治見行に
キハ75による列車で、美濃太田駅で22分停車します。改正前の岐阜~美濃太田間はラッシュ時に太多線で運行されたキハ40系列の運用、美濃太田からの太多線部分のスジは、改正前はキハ11によるものでした。後者にとって、この列車の太多線部分にあたる622Cはラッシュ運用後の休憩明けで、その後岐阜・多治見間などである程度長時間運用されていました。改正後の充当車ではラッシュ運用後の朝の「休憩」をとらなくなったのが明らかになり、充当されるキハ75は、11形でとっていた車両の休憩をどこで取るのか、あるいは長時間、休憩不要であるのか、それがひっかかります。
3.岐阜11:45発が、改正前美濃太田行と、美濃太田12:40発猪谷行に分かれていたものが、改正後は岐阜発高山行と高山発猪谷行に変更
改正後の1717Cの岐阜~美濃太田間は、従来は723Cがキハ11によるもので、太多線から岐阜へ到着後、この列車で美濃太田へ向かい、同駅着後は午後の太多線内折り返し列車運用に入るものでした。今改正では、太多線から岐阜へ到着した後に高山へ行くことになるので、それによって無くなる午後の太多線用の車両に何が来るか、という問題が生じます。一方の旧1717Cは某気動車ファンの某氏のページによると、下呂往復の1713C~1712Cの後運用ということです。
これは改正後は睨んだ通り、1713~1712の下呂運用にキハ75が充当され、それが午後の太多線折り返しに入り、キハ25が高山行きとなる前に太多線に入る形になりました。
4.岐阜15:45発の改正前多治見行が、改正後は美濃太田止まりに
同列車は美濃太田で1両増結していましたが、改正後は別編成による運用となりました。
またこの729Cになるまで多治見~岐阜を走る1運用は、他の旧キハ11運用のようにキハ75形充当ではなく、キハ25充当となりました。
5.岐阜16:15発の改正前高山行が、改正後は猪谷行に
6.岐阜17:15発の改正前飛騨金山行が、岐阜~美濃太田間と美濃太田~飛騨金山間列車に分かれる
岐阜17:15発は、昨年3月の段階ではキハ47、12月からキハ25が充当されていました。
改正後は美濃太田まではキハ75形3両、美濃太田からは2両編成の車両が担当する模様です。
7.岐阜18:09(土休18:10)発の改正前高山行が、岐阜~美濃太田間と美濃太田~高山間列車に分かれる
岐阜~美濃太田の3両組成と美濃太田以北で車両形式も分かれたようです。
この辺りはわかりません。
高山本線の上りでは、
1.土曜休日の美濃太田発8:37発岐阜行が、太多線からの直通を取り止め
2.美濃太田平日9:30、土曜休日9:33発岐阜行が、太多線からの直通を取り止め
この列車に関しては「話すと長い話」があります。
改正前も改正後も同じですが、上りの美濃太田8:37→岐阜9:19は下り岐阜9:36(土曜休日は9:38)の列車に折り返し、その後岐阜駅発の高山線下りは、下りが10:16(土曜休日は10:17)となります。ところが、この間に上り普通が2本到着します。2本のうち1本はどこへ消えるのか。
実は10時16分(10時17分)発の下りが2両2本併結の4両となって美濃太田へ帰る、というのが前回までのダイヤでした。これは今回も同様で、改正後はキハ25形が充当されています。
ここでもう一つ、旧キハ11運用にキハ25が用いられていることも興味深いところです。下呂より北へはキハ75が入れないということで、25が要るものと思われます。ところが、キハ25-1000は8編成しかなく、高山以北への運用を全て賄うには足りないはずであるのに、岐阜~美濃太田~多治見間だけの運用にも入っているのです。その分、下呂以北への直通もしくはその区間内の運用充当分が減り、これがキハ40形が存続する原因ともなっていると思われます。
3.平日・土休とも白川口17:10発の上りが、改正前岐阜行から改正後美濃太田止まりに。
従来から、夕方ラッシュ時は昼間に使わない車両までも駆りだされていたので、そんな時間に運用が終わるとは思えません。
ただ、仮に白川口発の車両がそのまま飛騨金山行きになるとすると、それと対になるであろう土曜休日の飛騨金山発4724Dは岐阜行きとなっており、同列車で岐阜到着後、終列車近くまで近距離の往復を続行するものと思われます。すると、特に土休日ダイヤでは、車両が朝早くから深夜まで稼働することになるのではなかろうか、と思われます。
そのあたりどのようになっているのかと思います。
4.美濃太田19:53発岐阜行きで、土休日の太多線からの直通を取り止め
5.飛騨金山19:18発改正前美濃太田行きが、土休日は岐阜まで延長
これは分からないので省略します。