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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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先日(10月21日)、さわやかウォーキングのコース内で美濃太田車両区の公開がありました。 個人的には姫駅旧駅名標の公開に驚いたのですが(喜ぶのは私くらいかと思ったので)
 紅葉の中を行くキハ48赤ツートン(撮影地はどこか)などの写真もありました。

  この日の内容は、詳細が各所で紹介され、個人的にいろいろ葛藤もあったのですが、思うところもあったので 書き残します。



 上の姫駅などは、太多線にゆかりのある人と約1名には大変深い、というのかまあ私が騒いでいるだけかもしれないのに、とは思いました。

 他はよく見ると、泉、根本など場所を示す言葉が入っているのですが、ここは明らかに人を示すもので、地名らしからぬ名称ということでは珍しいものです。(実際は湿地を暗示するものということですが)

 下の美濃白鳥駅は、国鉄から半年くらいのJR東海を経て長良川鉄道になっていますが、恐らく国鉄時代のものでしょう。

 隣の二日町駅は現在の白鳥高原駅のことです。







 

  近鉄や名鉄的な「急行」表示です。

 子の車両も時折用いられる、JRの
「快速みえ」の対抗馬として
近鉄に同じような車内設備の車両による
急行がありますね。
 その感覚で見ると、JRもこのような急行が
頻繁に岐阜から高山方面まで走る日が来るように
思えるのですが、実現は難しいだろう、と言われます。





 



 キハ85系の前のキハ80系は幕式ではなく、プレートを後ろから電照する方式で、そのプレートが残っていたようです。

 下の銘板のうち5枚は色がグレーで、ディーゼルではなくあの客車かと仮説を立てたところ、昭和45年の富士重工業、日本車両は、ユーロライナーの種車となったオハ12形の製造年次、メーカーと一致し、昭和60年名古屋工場改造も同列車の改造年と一致しました。



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 今回は、伊吹山バックの有名撮影地といわれる清滝踏切付近で撮影した 「ひだ」号をアップします。
 個人的には大阪発着の「ひだ」は日の長いうちに乗るなり撮るなりして
おくべきだと思います。
 高山本線がある限り「ひだ」号は存在すると思いますが、大阪発着がいつまで
残るかは分からず、廃止を公表される12月から改正の3月までは、特に大阪行きが
通過する新垂井線を通過する頃には暗くなるためです。

JR東海が、平成30年3月17日のダイヤ改正で「エル特急」表記の廃止を発表したとのことです。


 この改正では、「ひだ」の15号が現行より1時間繰り下げ、17・19号が約JR30分程度の
繰り下げとなりますが、それとともに「しなの」「ひだ」「しらさぎ」がL特急から
特急に変更される模様です。

 「しらさぎ」については、JR西日本内では旧L特急のほとんどが特急となりましたが、
同名称の列車だけは時刻表の表記で残されたため、自社線内のみの米原~金沢を走る列車も
時刻表ではL特急となっていましたね。

  ダイヤ改正のプレスリリースには掲載されていませんが、JR他社では「特急」に一本化
されていく流れがあることと、一部大新聞で報じられているので、東海でもあり得ると
思います。
 
  とはいえ、JR東海にはこれに尽力された先輩がおられるだけに、
特急への一本化はかなりの決断ではなかったかと思います。


 国鉄時代のL特急は、絵入りマークの場合は隅に「L」
381系の方向幕では列車名の左隣りに付されていました。

 文字のみのマークでは大半が入れられていません。

 ちなみに国鉄時代のL特急は、ほとんどが電車によって
設定され、気動車は日豊線の末端が電化されていない頃に
80系が「にちりん」、伯備線が非電化だった頃に181系が
「やくも」に使われた程度で少なめとなっていました。
 1986年のダイヤ改正では、予讃線で特急「しおかぜ」が<S>登場し</s>急行「いよ」「うわじま」からの格上げを
加えて増発されてL特急となり、同線のページは
「L」「しおかぜ」がずらりと並ぶ壮観なものとなりました。






 
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 2010年 高山駅の発車標

 高山本線の「ひだ」は、
国鉄時代「L特急」とは
なっていません。
 1972年にL特急の設定された
際には、候補にも挙げられていません。
 JRで実現した
ことで本数増と利便性向上の
イメージがありました。






  85系、383系のヘッドマークと側面方向幕には「L」は入っていません。



 高山本線の「ひだ」号は、駅の放送では「特急」と紹介されることが多く、L特急の文字が見られるのは、冊子の時刻表と主要駅の行先案内程度となっています。

 昨日、鈴鹿で道路が混むと某ニュースで言っていました。そういえば鈴鹿F1(で臨時列車が
走る)シーズンですね。
 ちょうど名古屋駅方面へ行く用事があったので、見てきました。

  今回は、写真は撮りませんでした。
名古屋発
 75形の行先表示を見るのは今回が初めてなのですが、
種別欄は無表示、行先がフォントの大きさが3つに分かれる3段式。

|  |鈴鹿サーキット稲生|  

 個人的に大変気に入りました。

 キハ25はLEDで、八田で運転停車中に見る機会しかなかったのですが、
~inoの表示の後に臨時表示が出たようで、順繰りに表示させる形態だったようです。

  
 9921D:キハ75-3401+1204+1304
 9931D:キハ25-1005+1105
 9941D:キハ75-3403+3503+3402+?
 という具合で、全て美濃太田車両区所属車でした。

 かつてキハ11が伊勢区と美濃太田区の混成で充当されていたスジの9921Dは、
キハ75になったようですね。

昨年金城ふ頭へ置かれたキハ11やキハ48等の車両が、年が変わっても船積みされない
ままで残されていることが、昨年から一部で話題になっています。

 5月中旬にも、昨年と同じ金城ふ頭駅ホームから見える位置に置いてありました。
左からキハ48の旧国鉄一般色ふう外装車2両、東海カラー車1両、キハ11形3両の順は
変わっていません。

 昨年6月の東洋経済誌の記事によると、ミャンマーの新政権のスーチー氏が、いつまでも
中古車ばかりではないと発言し、新車への意欲を見せたことや、あちらでは車両の
メンテナンスが難しいことなど、諸々の事情があるようですね。
 
 とはいえ、何しろ潮風に吹きっさらしで屋外に1年間放置されることは、保管の
コンディションとしては最悪で、鉄道車両としての営業復帰は難しいかもしれませんが、
何とかなることを期待しています。