忍者ブログ
鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


ダイヤ改正の日を迎えました。

 東京行きの「はやぶさ」が「新函館北斗」を
発車するシーンが流れていましたね。
 北海道へは昔から乗り換えを何度もして時間をかけていく、あるいは 飛行機で飛ぶという固定観念があっただけに、4時間強で直接新函館北斗へ 足を踏み入れるとは、驚異的な話です。  それとずっと九州方面とを結んでいた列車の「はやぶさ」の名称が、北海道 乗り入れ列車の名前となったことも、昔の人には"びっくりぽん"なのでは。

 さて、この辺では今回の改正から名松線・家城と伊勢奥津との間の運転が再開されましたが、
キハ11の運用範囲は同線のみに縮小となりました。

 松阪まで行かなければ見られないとなると、費用が気になるので、今後は一層行けないのか
と思います。




 25日夜には、300番台4両が運用を離脱して方向転換を行ったとのことで、その穴を0番台が埋めたとのことです。そのため名松線最終、紀勢本線などの列車に0番台が充当されました。
26日は家城~伊勢奥津間の復旧が報じられる中で、2両で走る300番台が映し出されていました。  なお、大江ふ頭の岸壁へ続く線路に、車両輸出作業時に見られる張り紙はまだ見られません。

公表の通り19日、202号が城北線を離れて稲沢へ送られました。
 同車は朝の休日運休の運用を勝川で終了した後、枇杷島へ回送されて1号となり、
勝川到着後に2号で再び枇杷島へ向かい、回送で勝川へいったん入庫しました。
 そこで送り出す準備を行い、定期列車120Hの後に回送として枇杷島1番線へ入り、
13時26分頃に同駅を発車、稲沢線を下って稲沢へ向かった模様です。

 この日朝の202号の定期列車としての運転時は空いていましたが、ありがとう列車1/2号は通路にも客が立つほどの混雑であったようです。

 引退に際して会いに来ようとする方が多数いらしたということは、喜ばしいというか
キハ11を何度も取り上げた私にとってもありがたいことです。
 
 1980年代までは旧国鉄の瀬戸線と呼ばれ、高架が建ち、早期開業の願いを表した看板なども
あったにも関わらず、開業の見込みがないとされてきた路線です。

 単行気動車ながら一応の「列車」が走り始めてから、もちろん安全運行が続けられながら、イベントや車両内外の装飾を行うなど、住民の目を引き客を勧誘する努力がなされてきました。

 古くは車両の搬入、製造元の新潟の工場からの輸送、ハイキングなどで臨時列車が
走ったことなどのトピックスが、さまざまな機会に鉄道雑誌にも掲載されていました。
それでそこそこ全国的に知られていたのでしょう。

 202号も5月、7月などにはマークを、12月には電飾をつけるなど、話題作りにも
役立てられてきましたね。

 開業から25年になるこの年になっても、列車編成が1両で済む路線は
今後も鉄道路線として続けるにはかなりの厳しさを伴うでしょうから、
遊び心を持った企画は通りにくくなるかもしれませんが、
列車の安全とともに楽しい企画等が実施されることを願っています。

    
      定期列車
  先週日曜のものもこれではなかったかと思います。
 
  210/211H

; ありがとう列車1号ありがとう列車2号

ありがとう列車で枇杷島へ向かった後、
勝川に戻った202号 12時頃
 稲沢への発車直前

今年も3月13日となりました。  今回は313系5000番台のものを貼ります。


  昨年の13日は高山本線・太多線でのキハ11の事実上営業運転最終日でしたが、
今年はダイヤ改正が26日なので、残存の0番台はまだ少しは運用がありそうです。

 12日にまたも三重県へ行き、様子を見てきました。912C~923C、925Cが300番台のみの 単行でした。

918Cの亀山寄りに3番が連結されていました。



 久しぶりに0番台サウンドと95km/hの高速走行を体験することができました。
 キハ11-3番の車内の番号表示が、旧国鉄様式の記載方からシール張りに変更されていました。  このような番号表示は、たかが管理番号の表示ながら楷書体などの味のある書体を用いている ところが魅力ですが、違う書体でしたね。

 亀山からの帰り、南四日市で山九所有の入れ替え機を見かけました。
数カ月間貨物づいていたので、列車内から撮ってみました。
 

 その後は中央線で多治見へ。
 中央線と太多線との分岐点へ行ければそこそこいいものが撮れるのですが、
後述の「しなの」まで時間がなく、並走区間で無理やり撮ってみました。



 今回のもう一つのお目当てが「大阪行きしなの16号」。
 多治見から大阪直通が出ていたことを記念する意図で、この構図としてみました。


  

 城北線の202号の両端に、アレが施されたようです。

 東海からひたちなか海浜鉄道へ移籍したキハ11のうち、この日旧キハ11 123号車が
営業を開始しました。おめでとうございます。

 同車はキハ11-5に改番された他、車体色はクリームに窓下にオレンジのラインが入る塗色と
なっています。幌は車両の両側につき収納式の「半幌」を変更して一般的な幌となっています。

 始発の午前4時49分阿字ヶ浦発勝田行き(土休日運休)から使用され、勝田駅ではE531系と
並ぶようになりました。

 この後旧203が6、同204が7となる模様です。

 さて、1~4がなぜ欠番になっているのかが不思議だったので、調べてみたのですが、

 ・旧茨城交通時代のキハ11(1,2,3)との区別
 ・123より番号が若く、現在伊勢区にある3、7、10と202で欠番を埋める

 の可能性が考えられます。

 茨城交通の頃のものは某「百科事典」サイトに詳しい記述がありますが、
リニア鉄道館にあるキハ48036が茨城交通のキハ11 3で、これは国鉄時代には
48036から改番されてキハ11 26となっていました。
廃車後に佐久間レールパークへ展示されたもののようです。

 「キハ11」を巡っての「強いつながり」を感じました。