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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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ひたちなか海浜鉄道の17日のイベントにおいて、同社へ行ったキハ11のうち1両が公開・展示されるそうです。
 
 上記3両は今後、茨城県の勝田~阿字ヶ浦間を走ることになります。
  しかし、その車両を見ながら、これまで走ってきた飛騨川沿いの区間や岐阜市、多治見市などへの思いをはせていただくのも一興ではなかろうかと考えまして、象徴的なものを改めてアップしたいと思います。
  
 
 


蘇原駅1番線へ入線中の204号。

 一昨年5月中ごろの多治見駅で、同市のキャラクターグッズと204号。



一昨年の白川口ハイキングの日、同駅始発列車まで待機中の203号。
 
美濃太田駅での203+204。
 
 
 最後に123号。
 同車は、2012年2月20日にたまたま乗り合わせ、23周年とブログに書こうとしたところ、同車が落成したのは1989年2月20日より後だと分かった苦い思い出があります。
 とはいえ数字並びが面白いですし、JR東海名古屋工場が手掛けた車両です。


 追伸

 公開される車両はどれになるのでしょうか。
 車内の車号表示だけならば、123号は国鉄タイプを継承したJR東海タイプの車号が付けられていますが、あと2両は簡素なタイプになっています。しかし、後者の方が車両としては新しいので、前者は部品取り用として営業線には出されない可能性があり、公開されるのも後者2両の可能性があります。

 それと、同車では暑いシーズンには窓の日よけを降ろされることをお勧めします。
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28日にトレーラーで稲沢を出発した3両の動きを、twitterの情報をもとに追ってみます。
 これらは29日に未明に静岡県下を通過したのち、箱根エコパーキングで休憩、その後29日23時過ぎ~30日1時頃にかけて東京都区内を通過しました。お台場も通過し、ゆりかもめの軌道とも並んだとのことです。その後国道6号線へ入り、午前3時台には土浦市内を通過した際の写真が投稿され、7時頃には1両がひたちなか市那珂湊にいる模様が投稿されています。

 これまでのうわさ通り「ひたちなか海浜鉄道」へ運ばれた模様です。

 未確認情報ですが、海外輸出組も、車両を搭載した船が川崎に立ち寄り、三陸鉄道等からの車両も載せるという話がtwitterで呟かれていました。

名古屋港大江ふ頭にいたキハ11・47・48形気動車が、28日には全てなくなっていました。27日にキハ11の船積みの様子がtwitterにアップされており、船積みが終了して名古屋港を離れたものと思われます。
 また、稲沢にいたキハ11形3両も、トレーラーに載せられて国道22号線~豊明市~安城市と移動している模様です。

 ところで、203と204がなくなると、2つの疑問が生じます。
 一つは、
 201と202の両方が稼働する時間のある城北線で、先のどちらかの長期運用離脱時の代車が何になるか
 いま一つは、東海交通事業社名義に変更される車両があるか

 ということです。

3月13日撮影
鵜沼・坂祝間
坂祝駅

 当ブログにおいては、今月、これまでのキハ11ネタにはないアクセスの伸びを示しています。ご覧になられる方、そして掲示板等で情報を提供して下さる方に感謝したいと思います。
 ある意味キハ11にもそれなりに関心を持つ人がいる、と思っています。



  先週は、キハ11の残り3両が稲沢へ移動し、関東某私鉄へ異動かと囁かれていました。
 当方は4月から、高山・太多線にかかわることが難しい状況になったのですが、その関係の雑用があったため先週はブログを更新せず、すみません。

 twitterを「キハ11」で検索すると、22日ごろにはJR貨物の稲沢駅で留置という情報が得られました。その私鉄へ到着したとか、あるいは東海道経由であれば静岡を通過といった情報が見当たらないので、どうなったのでしょうか。

 24日に時間ができたため、再び名古屋港ポートビルへ行ってみました。キハ47・48がそれまでとは垂直の方向に向けられ、着岸している船舶に積み込まれていたようです。この時点でキハ11は13両ほど岸に残っていました。



 岸壁の入り口に「輸出電車の出荷作業」のために「線路上を電車が通行する」とされた4月15日が過ぎました。「電」車では云々、という話は別にして、東築線と東名古屋港駅より西の線路への車両通過は昨日までということですね。

 一部ひだ号の2号車連結車の種別を表す語の某掲示板に載せられた情報によると、14日にキハ11形3両と、47・48形3両が東港駅から岸壁へ送られたそうです。

 別のネット掲示板によると、そこに機関車にキハ11とキハ47(かキハ48)の並びの写真と「ミャンマーでも末長い活躍を」とのメッセージを掲載した紙片が入れられたとのこと。
 臨海鉄道なので、地味なイメージだったのですが、以前の甲種輸送の際には寝台特急を彷彿とさせるヘッドマークがついたり、遊び心のようなものが形になった場面を見かけることもあるので、それも楽しみの一つになりました。
  
 さて、美濃太田にいる残りの3両ですが、某巨大掲示板では、車体長18.5mの類似車がいる関東の会社に移籍する話が出ています。16日には建物内にいるのが目撃されています。
 100番台と比べて5年新しい200番台が残っているとのことなので、有効活用してもらいたいと願っています。