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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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フラップ式発車標(行先案内)は、名古屋鉄道ではLED式のものへの更新が進み、
残るのはわずかとなりました。
 この3月には、河和駅の表示が投資計画の記載通りLED式のものに移行しました。
 
 
 では2018年度(実施があるとすれば2019年)の名鉄の投資計画ではどうかと言えば、
行先案内機器の更新自体の記載が全くありません。

 今年の行先案内の更新は、先のような理由で「ない」だろう、と言いかけるところですが、
一歩戻ってみます。
 投資計画に掲載されたのが2014年の上小田井駅からですが、行先案内機器の更新は
それまでにも多数の駅で行われ、2014年以降のほうが異例と言えます。
 今年も実は実施する予定はあるが、投資計画でわざわざ公表する必要はないと
判断された可能性があります。来年いきなり更新されるかもしれません。

 それと古い行先案内というか発車標は扶桑駅のものもありますが、新可児駅にも
文字を裏から照明を当てて表示するいわゆる「行燈式」がまだ存在しました。

 一方、近鉄名古屋線では、今後の標準と推測される液晶モニター式のものが名古屋駅や
桑名駅のほか、急行列車以下の停車駅等にも存在する一方、なぜか近鉄四日市や津、<s>伊勢中川</s>、
松阪などの主要駅にフラップ式がまだ残っており、これを交換する旨のリリースも見かけません。こちらはどうなるのでしょうか。

 後日追記:近鉄伊勢中川駅は、2018年11月現在フラップ式ではなく近鉄の新しい標準機のようです。すみません。
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河和駅の行先案内を見納めのつもりで見に行ってきました。

 名鉄でのフラップ式のものは、河和のものが更新されると、その後残るのは
犬山線の扶桑と可児市の名鉄資料館に保存されているもののみではないかと思われます。

 一方で、近鉄では、松阪と津には確実に残っています。それに加えて近鉄四日市でも最近まで存在した(もしくは現在も存在する)可能性があります。
 これはyoutubeに最近アップされた同駅の終電間際の様子を撮影した動画で分かったものです。
 近鉄が主要駅で現在もこれだけ稼働させているとは驚きでした。

 ところで河和といえば、個人的には海を見るだけという時が多いですが、観光スポットを
探すとえびせんべいの里などがあります。ただ駅の至近で目立つのはそれだけで、あとは師崎
周辺やセントレアといったところになるようです。
 
  駅前が河口となっており、水門が存在します。



 行き先案内更新予定とされてきた栄町駅のものが、LEDに変更されました。
 変更前のものをアップしておきます。
 
 
 
 伊奈駅の旧行き先案内も見に行きました。


  
   2017年度というか2018年の更新予定が発表され、「河和駅」だそうです。

 この駅は海に近いので、私としては、行き先案内がフラップ式だろうがLED式だろうが
行きたくなるところです。
 
 



 河和線は同線河和方面と知多新線直通が30分間隔で設定されていますが、それでいて
河和駅の発車がほぼ20分間隔に揃うところが凄いと思います。

 河和港隣の海岸の海。



 河和線といえば、JR武豊駅から知多武豊へ出ようとして隣の上ケ駅に着いてしまったのもいい思い出です。

 この方式のものは、名鉄ではかなり少なくなった一方、一昨年頃までは、近鉄の、
JRと改札内で往来できる津や松阪駅に残っていましたね。


 

今年度は、名鉄の栄駅と伊奈駅(小坂井町)に設置されているフラップ式の発車標の
交換予定が同社の投資計画に明記されており、これまでの動向から見るに、正月を過ぎてから
動きが出ると思います。

 この駅の行先表示は、LED表示機では少々頭を抱えそうな部分があります。
 この駅の豊橋方面は同じ行先案内が長時間続くことになるので、これを普通に表示させると
焼き付きが起きるでしょうし、高額な機械を用いて案内するまでもないとも言えます。
 名鉄名古屋方面へは急行・普通・行先が名鉄岐阜と東岡崎など数種あります。しかし、豊橋方面は豊橋行のみで、日中に停車するのは「急行」だけ、8時32分の特急が発車した後から22時13分の列車が発車するまで、「急行 豊橋」の表示(もしくはローマ字との交互表示)が長時間続くことになります。
 他との共通化を考えて種別・行先入りのものにするのか、あるいは時刻表示のみのものにするか、それとも豊橋方面の行先案内そのものを廃止するのか、さまざまな可能性が考えられます。
 実際はどれになるのか、なってみなければわからないので楽しみです。

 さて、その豊橋~伊奈間は、途中の平井信号場までの間で名鉄本線とJR飯田線で線路が共用されていることが知られています。

 以前、13時半頃の列車に乗車したことがあり、この時は、豊橋駅を13時27分にJRの豊川方面行の普通が発車して下り線に入り、船町を過ぎて下地に停車。その32分頃、名鉄・名古屋方面への快速特急が豊橋駅を発車して同じ線路を走っていました。ダイヤ通りなら順調に走れるはずが、この時は名鉄の快特がモタつき、その間に横を豊橋を33分に発車したJR東海道本線の大垣行快速が一気に駆け抜けました。
 ちなみに名鉄快特とJRの快速とでは、名鉄名古屋、JR名古屋駅への到着時刻にはさほどの差はありません。

 このように下りも・・・なダイヤですが、上り豊橋着の場合、JRの各駅停車が名鉄快特の2~3分前に豊橋に着くダイヤとなっています。これは偶然でしょうか。

名鉄栄生駅では、1日の段階で、LEDの行先案内が設置されていましたが稼働はせず、
旧来のフラップ式のものが稼働していました。

 後日追記:栄生駅のものは4月の時点ではLEDのものが稼働し、それとともにホームも
リフレッシュされて新しい雰囲気となっていました。)

 それと栄生というと、あまり遠くない場所に押切交差点があります。この北西の一角に
「押切町」駅があり、名鉄名古屋駅(旧称・新名古屋駅)が開設される前の一宮・岐阜・犬山
方面への起点となっていました。

 栄生から押切交差点までは、上更交差点から交差する国道22号へ入ることになります。
この国道22号線は、東枇杷島駅の脇で名古屋鉄道線と交差するだけでなく、道なりに東
(東南)の方向へ向かうと、「新御園橋」交差点があり、それが瀬戸線の旧堀川駅に
近接しているとのこと。

 瀬戸線の堀川駅は、かつての起点で、瀬戸の陶器を瀬戸から運び、ここで近くを流れる
堀川を往来するはしけに積み替えていたようです。

 ちなみに、列車が走る前は国鉄瀬戸線と呼ばれていたのが現在の城北線で、計画時は
瀬戸から稲沢への貨物線ということでした。瀬戸といえばせともの輸送で、稲沢というと
以前から貨物列車の拠点となっていたところです。
せとものを貨物列車の拠点である稲沢へ運ぶ目的で計画されたのでしょうね。

 名岐鉄道・瀬戸電気鉄道時代のターミナル同士は、現在の名古屋駅・栄駅よりもっと近接
していたようですね。