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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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NHKBSで放送された「ニッポンぶらり鉄道旅」で、3月24日の回は名古屋市営地下鉄の名城線・名港線の回となっていました。
 そして「名城公園」駅では、鉄道カフェ「鉄道屋」が紹介されました。
 
 ちなみに名古屋城の中へ入る最寄り駅は「名城公園」駅ではなく隣の「市役所」駅です。
 名城公園駅や、名城公園とされるエリアは、某wikipediaによると名古屋城の内堀より北の湿地帯にあるということで城の外ですが、「城」の文字のない市役所駅が名古屋城の最寄り駅という妙なことになっています。

 鉄道が好きな人が趣味を兼ねながら収益を上げるとなると、鉄道と飲食店とを組み合わせるというのが最初に思いつきます。ですがなかなか経営が厳しいのか、他の都市で行ったことのある店が消えてしまい、岐阜市内の1つ、名古屋市内の1つなどかなり減ってしまいました。

 鉄道をテーマにした居酒屋もあったと聞いたことがありますが、それがなくなって残っているのが、今回先の番組で紹介された「鉄道屋」です。(リニア鉄道館のデリカステーションを除く)。
 
 番組で紹介されたように、模型のレイアウトに相当な熱意をかけて作り込んであるそうです。
 店内はテレビで紹介があった通りで、車両は持ち込める他に店の持っている車両を借りて走らせることもできます。

 但し、番組では営業日については触れられていなかったのですが、訪問には、事前に営業日がいつかを店の公式twitterで事前に確認しておく必要があります。
 以前は土日営業となっていましたが、土日祝に訪問しても入り口が施錠されて問い合わせの電話番号が掲示された状態の時を何度か見ました。
 
 あまり営業日が不定期では訪問しづらいのが困りますが、この業態はもはや営業が続くだけでも素晴らしいことで、できる限り頑張ってほしいと思います。
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 リニア・鉄道館が10年目を迎え、あの方が記念講演をされました。

 かつて、美濃太田車両区には、現役の気動車のほかに電車の381系や165系、103系などがカバーをかけて置かれており、ネット上では、この車両でいずれ、あの方が何かされるのだとささやかれていましたが、それが名古屋市に形となって現れたのが2011年、今年はそれから10年ということで、話題の方が何か噂の真実を話されるのかと期待していました。

 美濃太田の車両に関しては、確かに博物館を作るために車両を隠した、と一言言及されました。

 私にとっては、卑近な言い方をするとかつての本物の車両に囲まれて癒される場所ができた、と歓迎していたのですが、講演の内容によると、趣旨は「鉄道車両・構造物は、人間の心を運び、わざが結集した文化財である。輸送等に使用されないとして直ちに処分せず、保存し観光や学習に役立てる」ということでした。ここは財団法人等でなく、JR東海の一部署であることから、新幹線やリニア等の広告のための施設だとすることもありますが、設置にあたって車両・施設等を文化財として保存を決意されたことは確かだろうと思われます。

 保存が始まる車両は多いのですが、その後の継続のところで、次々困難が立ちはだかりますね。元名鉄の車両があちこちに静態保存されましたが、知らないうちに次々に解体されました。
2年前、栃木県の某保存会の方が、保存車の修繕に対してお金や修繕ボランティア不足を嘆いておられました。栃木なのによくぞ元名鉄のキハ8500の保存を決断されたと思ったのですが、車体の修繕をなかなかできないのだそうです。

 設立にあたっても、維持にあたっても、今後もさまざまな困難に立ち向かうことになるかもしれませんが、文化財を保存し後世に伝える場としても、鉄ちゃんの癒しの場としても、長く残ってほしいと思います。
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元JR東海のキハ11をはじめJR各社の40・47・48形、さらには名鉄のキハ20・30も
渡ったミャンマーで政変が発生したそうです。

 日本の車両はどうなるかと思って少しネットで検索をしてみたのですが、そもそも車両の
輸出のみならず鉄道事業に関する指導そのものが 国際協力機構(JICA)のプロジェクトだった
そうで、日本の鉄道技術がミャンマーを通じて他国へ流出する可能性もあるなあと思いました。

 


 


 キハ40に代わって烏山線の主役となった蓄電池車EV-E300形です。
 元名鉄のキハ8500が保管されている鉄道保存館が栃木県の那珂川町にありますが、そこへの最寄り駅がある路線に、次世代車候補のこの車両が運行されています。
 2050年に向けて温暖化への対応が加速しつつありますが、あと30年後には石油燃焼による車両が存続しているのでしょうか、それとも画期的な次世代車が現れるのでしょうか。


 名松線家城駅でのキハ11同士の交換風景

 「鹿島臨海鉄道6000形」 茨城県の鉄道の車両ながら、東海の某私鉄のような
赤の車体色・日本車両による製造、座席が転換クロスシートの車両でしたが、最近は
かなり減ってそろそろ絶滅危惧種かもしれません。

今回の飛騨地方の豪雨で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 高山本線も2004年、2018年に次いで今回も被災し、長期不通区間が発生しました。
 ただ今回は、不通区間が被災から1カ月たたずに飛騨小坂~渚間の1駅間に絞り込まれました。

 特急列車は名古屋~岐阜~下呂と高山~富山間で運転、普通列車は7月18日より岐阜方からは飛騨小坂まで、富山方からは渚までの運転となったそうです。


 えっ、

 コロナウイルスが拡散して以降列車の利用客が減っているとか、度重なる豪雨が九州や
飛騨地方を襲うなど、暗いニュースが多いですが、この運転再開時のこの名前で少し楽し
ませてもらいました。

 思い出の渚(の駅舎)
 
 渚へ行こう、と思って写真を撮ったわけではありません。

 ヒット曲の歌詞で想定している場所が、よもやこの土地ということはないでしょうが。