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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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寒気団がおりてきて、太平洋側にも雪がちらつきましたね。
 高山線では降雪に並々ならぬ苦労を強いられていますが、写真には優れたアクセントになります。

 ところでHC85が「高山線の特急ひだや紀勢線の特急南紀向け」に「正式に採用決定」されたそうで、おめでとうございます。



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10月31日の営業をもって「南紀」ではグリーン車の営業が終わりますが、その後の
キロハ84はどうなるのでしょうか。

 85系が80両程度しかないので、F1や熊野市花火大会、観光シーズンなどに備えて
残すのではないかと私は思います。

 さしあたって12・1月について、何かヒントはないかと「冬こそ飛騨路」プランを見てみました。名古屋地区出発の場合、
「12月1月の月~木乗車の片道に限り、
 ひだ号普通車指定席の旅行代金でひだ号グリーン車利用OK」。

 冬こそ飛騨路プランは、普段はひだ号の普通車指定席を利用することになっていますが、
上の日に乗車する片道ならばグリーン車で良いということになっています。これによって
グリーン車利用の人たちを確保できれば、ツアー用車両としてキロハ84にも出番があることに
なります。



下り普通
9月に「下原ダム」で撮影しました。

 列車にフォーカスするのか、背景の山林をどこまでバックに入れるか、意外に悩みどころが
多い撮影場所でした。

山口智充氏の番組で美濃加茂市の旅の企画が行われていましたが、彼らが
ボートにのったあの公園は太田橋近隣にあり、たまたま私も5月30日に行った
ところでした。

 そして、今週は7月13-15日には「紀勢本線全通60周年記念号」が運転されました。
相可口(現在の多気)からは1934年に尾鷲まで達し、和歌山からは紀伊木本(現在の
熊野市)まで1940年に開業しましたが、尾鷲から熊野市までが難工事となったため、
全線開通は1959年まで持ちこされたとのことです。

 しかし何しろ遠いなあ、ということで四日市へ(謎)。
 近鉄の急行は6両でも満席という時が多いですが、一方でJRの「みえ」も最近は
土休日には津から名古屋まで座れない時もあり、両者ある程度の客がついているよう
です。

 まず伊勢鉄道車両。
 
 そしてもう一つがこれです。
 

 発車標はというと、現役で存在しましたね。

 早くかえろともいつまでも残せとも言うつもりはありませんが、いつまで残るのでしょうか。

 そして近鉄の駅には特急の号車表示が存在し、これにパタパタが残されている駅があります。
これは近鉄四日市ではなく白子などに残っているようです。

これまで美濃太田駅へ行くたびに見てきた釜飯の立ち売りが、5月31日(6月1日は特別営業) をもって終わりとなるということです。
 

   同駅周辺は始発・終着列車があって、特急列車が停車して、車両基地があって、ということで、
私個人は、高山=観光、下呂=温泉であるのに対し、美濃太田は鉄道、と思っています。
(あくまで個人的見解)

 駅弁の立ち売りが最後まで残ったのは、ある意味この駅らしい(あくまで個人的見解)と思います。

 これまで美濃太田駅内をふらついていた時は、本当によくご主人と顔を合わせたので、
弁当を買わなきゃな、と思うのですが、弁当を買おうか、外のラーメンなら300円だよな、
しかしせっかく来たからなあ、というように葛藤を続け、数回実際に買ったこともあります。

 恐らく営業を続けてこられるにも結構な葛藤があったのだろうと思えてなりません。
 想像するに、今やコンビニやスーパー等では多数の弁当がある時代、必要なのか。
しかし、不要だと言われても、長年料理をやってきたのだから、今更簡単に仕事を変えら
れないだろう、続けるしかない、とか。

 ただ、この弁当の販売がない美濃太田駅は、らしさが少し薄れる感じがします。
 ところで、31日は早々と弁当が売り切れるかもしれません。東海地区のテレビ新聞で 次々取り上げられているのですが、そうなるとおそらくこれまででは想像もつかない くらいの注文を受けることになりそうな気がします。  私は最後まで複雑な思いを抱えながら見ることになるでしょう。