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鉄道関連とその沿線、中部国際空港駅発列車等を取り上げています。
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 いつも大変更新を滞らせてすみません。
 5月のは、撮った時にはよかったのですが、後で確認してみると
出来が悪かったので割愛します。
  
 6月
 美濃太田駅付近

 


 

 7月 可児市内で川に面する場所からです。

 周辺は住宅地で、よそ者が出入りすることになるので、住民の方に
自分のやることを説明して撮ってきました。
 それと柵の奥に木が生い茂っており、コンデジのレンズを差し入れてやっと
下のような感じになりました。
 
 この日は、例のDR編成が通過する日でした。


土曜日、海ナコのキハ25・75・95・97の留置状況を眺めました。
 キハ25はM1編成と他2編成が留置。
 M1(1009)は数日前にもありました。その前はM2(1010)の留置が続いて
いましたが、M0番台編成(1009~1012)は、やはり高山本線・太多線で使えるように
備えてあるようですね。
 キハ75も2両1編成が留置。この75は美濃太田のものです。51号~8号終了後の
留置車なのでしょうか。

 キヤ97もありました。

 そして普段はあまり気にしない85系で変わっていたのが、モノクラス5両組成の存在です。
キハ85-1104とキハ85-1の間にキハ84の5,11,204が連なる編成です。
 「ひだ」の基本編成のうち、グリーン車のない組成は富山発着列車の高山折り返し、
もしくは19号に用いられる3両、10号等の4両で、5両貫通も、ましてモノクラスというのは
「ひだ」の基本編成が4両に短縮されて(1990年頃は基本が5両だった)以来、あまり見ません。

 
高山本線・岐阜~美濃太田では珍しいキハ25同士の行き違い
右は4721C岐阜発飛騨古川行(1001充当)
左は3734C多治見発岐阜行(1010充当)

 2月5日ということで25形の並びを。

 キハ25という形式は国鉄時代にも存在しました。
 ネットで検索すると、キハ20形式(いずれも両運転台)とほぼ同じながら片運転台
タイプの車両とのことで、他のサイトによると、美濃太田区にも1986年頃まで
数両が配置されていたそうです。

 当時は国鉄から引き継がれた樽見線、越美南線、明知線が現在のような樽見鉄道、
長良川鉄道、明知鉄道に変わる時期ですが、キハ40系列と58/28が残った以外は国鉄線の
縮小に伴う余剰車として廃車されたのではないかと思われます。

 その「キハ25」の名称が、今度は40系列を置き換えるために戻ってきたのですね。



6月に紀勢本線で試運転が実施されたキハ25-1010(M2)

 最近見たキハ25
 
 最近は1月26日に岐阜へ行く用事があり、ここでトップナンバーを引きました。
 名古屋車両区で1月31日に1010の編成、2月3日に1505の編成を見ました。
 1010はしばらく高山本線・太多線運用に入っていました。
 個人的には角付きのキハ25を期待して太多線へ行った日がありましたが、
11~14時頃の唯一のキハ25運用がこれだった
  予備車が不要となったために名古屋へ戻ったとのことです。

 同区には他に真新しい3編成がいましたが、31日には番号を確認できずに終わりました。
2月3日には1512~1514がいることを確認しました。

以前は両運転台のキハ11形による4両組成だった岐阜駅10:16発美濃太田行きに
乗車しました。

 以前と同様、上りの3710Dと3712Dで岐阜に到着した2両2編成が、同駅で併結されて
下りの3715Dとなるもので、昨年3月からキハ25による列車となっています。

 隣の4番線にはひだ号の名古屋発5号・大阪発25号(当駅で併結)も停車し、その辺りは以前と変わっていません。

 この日3712Dがキハ25-4+104で、岐阜駅3番線に到着したところです。


 この大垣方に3710Dで到着した1000番台(1002+1102)が連結されました。
その後は4両で運転されました。
 
 長森・那加間では、前2両に10人、15人程度、3両目は5人程度乗っていました。

 そして警笛が屋根上に移設されたと昨年末話題になったのですが、4-104(P4編成)、1002-1102(P102編成)とも終了していたようです。
 4の頭上にあったものがこれです。


ろばた遺跡公園